お元気ですか。横浜中央教会の立石です。
今週はキリスト教会で最も古い信仰告白文、「使徒信条」というのを学んでいます。「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリアより生まれ」というところまでを学びました。 今日はその続き「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり」という言葉です。使徒信条はキリストの誕生の後、いきなり死ぬ場面になります。昔から多くの人がこのことを疑問に思ったようです。
宗教改革者カルヴァンは「なぜ誕生から、彼の生涯の全経歴を略して、直ちに死に進むのですか」という問にこう答えました。「使徒信条では我々の救いということの本質だけを語るからだ」。キリストは私たちの罪を全部身代わりに引き受けてくださることによって、私たちを救ってくださったのです。
キリストの死に方には意味がありました。そして人間の死には生物学的な意味のほかに、宗教的な意味があるのです。「人は誕生したとたんに死に向かって歩み始める」という言葉があります。またラテン語で「メメント・モリ」という言葉があります。それは死を忘れるなという意味です。死のかなたには、この世での報いが待っている。だから今の人生を精一杯正しく生き抜こうという意味です。
しかし逆にこの言葉は、「食べよ、飲めよ、そして陽気になろう。我々は明日死ぬんだから」と、この世を刹那的に生きる合言葉にもなりました。「メメント・モリ」、あなたはどちらの意味に解釈なさるでしょうか。