いかがお過ごしでしょうか。川越教会の木村香です。
わたしがどうしても申し上げておきたいことは、神様は愛のお方だということです。わたしたちがある人を愛するとか、なにかを愛すると言う時、そこには何かの、そしていろいろな理由があります。そのために人によっては、全く違うのものを愛することがあります。わたしはヒマワリが好き、わたしはスミレが好き、という双子を知っています。そういう好き嫌いの理由、好みは、都合、あるいは利害関係です。そこで偏りが生まれるのです。
神様は偏りのない方、人のような意味での好みはありません。御自分の損得でわたしたちを愛されるのではありません。わたしたちを愛して下さるのは、わたしたちの内に理由があるからではありません。賢いとか、立派だから、美しいから愛してあげよう、ではありません。愛するというのは神様の御性質、本質です。
わたしたちが立派でなくても、弱いとしても、貧しくても、神様は愛して下さる。そのままで愛して下さる。こんにち、愛という言葉には手垢が付いているようです。歌謡曲の世界のように。わたしたちも気軽に使いすぎているのではないでしょうか。
本当の愛とはどんなものでしょうか。神様の愛です。「神は、そのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです」ヨハネの手紙第一4章9節(新改訳聖書)。神様はあなたを愛していて下さる。あなたがどんな人であるかにかかわらず、だれよりもあなたを愛し、神様のもとに招いていて下さいます。あなたが救われるために、御自身の独り子イエス様を犠牲にして下さるほど、愛していて下さいます。どうぞそのままに受け入れて下さい、神様の愛を。