いかがお過ごしでしょうか。川越教会の木村香です。
皆さんはお家に住んでいらっしゃいます。町に出れば大きな建物があります。それらの建物は建築会社なり大工さんなりが造りました。造った人がいるはずです。あなたの知らない人、顔を見たこともない人かも知れません。しかし材料をここに置いておけば自然に建物ができたということは決してないですね。どうぞ今、世界のことを考えてみて下さい。宇宙に地球、空や山に海、木々の緑、動物たち、人間。それらの素晴らしさ、美しさ、精巧さ、統一性。それはどうしてできたのでしょうか。
学説があります。神様がいないと信じて、そこから出発して今の世界を説明しようとしています。世界が自然に、言葉を換えれば勝手にできた、というのが進化論です。
これだけの建物や世界があるのですから、それを造った方がいると考えるのが当然ではないでしょうか。世界や宇宙を造るのですからそれよりも大きいお方、人知の及ぶところではない、そのお方を神様と呼ぶのです。それは当然ただお一人、ということになります。
約2600年も前の預言者エレミヤは、苦しい時の神頼みをするユダの人々に、こんなふうに言っています。「お前が造った神々はどこにいるのか。彼らが立ち上がればよいのだ、災難に遭ったお前を救いうるのならば。ユダよ、お前の神々は、町の数ほどあるではないか」(エレミヤ2:28)。
神々など実際にはいません。神は、そして神が、いらっしゃいます。ただお一人の神が。聖書によれば、御自身が「わたしのほかに神はない」と繰り返して言っておられます(申命記32:39、イザヤ44:6、45:5,6,18,21)。これは何にも勝る証言、証明と言えます。 このお話は続きます。また明日。