いかがお過ごしでしょうか。川越教会の木村香です。
言葉から入っていきましょう。「神」という言葉には絶対者、という意味があります。人間を越えた存在のことです。
ローマ神話やギリシア神話の中に、たくさんの神々が登場します。中には人間にいたずらするものや、そのために叱られて逃げ出すものもいます。神々にも強い神とそうでないのがいて、優劣があります。
ま、そんなものはお話としては面白いですけれど、神様でも何でもありません。わたしたち人間と同じようなものだからです。
“どんな神サマでもいい、ただ真心を持って信じればよい”という人がいます。「鰯の頭も信心から」と言うわけです。いやしかし、私たちが友達を選ぶのだってそんないい加減なことはしないでしょう。
わたしたちが知りたい神様は、わたしと無関係なのではなく、わたしと関わりのあるお方。わたしたちが求めている神様は、人間を越えた絶対者、わたしを知り、わたしを生かして下さるお方です。
鰯の頭や石でできた狐など、わたしと何の関係があるのでしょう。そんなものはどうでもいいのです。
ところで、ある百科事典の「神」という項目を引いてみました。いろいろなことが書いてありましたが、その中の一つに、「神はいないと信じている人を無神論者という」とありました。この事典によると、神はいないというのも一種の信仰と言うことになります。
神様はいるのかいないのか、残念ながらいるという証明はできません。いや、神様にわたしの隣に座っていただいて、皆さんにお声を聞いていただくとか、触っていただくとかという意味での証明ですけれども。でもそれは神様がいないと言うことの証明にもなりません。
これから申し上げる証明ならできます。神様がいらっしゃる証拠がいっぱいあります。 このお話は続きます。また明日。