ごきげんいかがですか。羽生栄光教会の村田寿和です。
アダムの子孫である私たちは生まれながらに罪を持って生まれてきます。それゆえ私たちは神さまを恐れ、どこかうしろめたい思いを抱いているのです。
罪をもって生まれてくるとは、考えてみると大変なことです。なぜなら聖書は、「罪の支払う報酬は死である」と教えているからです(ローマ6:23)。私たちは死を自然なことのように考えていますが、神さまが造られた良き世界には始めから死があったわけではありません。アダムが罪を犯したことによって、死がこの世界に入り込んできたのです。それゆえ、死は神さまによって滅ぼされるべきものであるのです。そのために神さまは、御子イエス・キリストを救い主としてこの地上に遣わしてくださいました。
イエス・キリストは、罪のないお方でありながら十字架にかかって死んでくださり、私たちに代わって罪の刑罰としての死を死んでくださいました。ですから、イエス・キリストを信じるならばすべての罪が赦され、神さまと和解し、再び神さまを礼拝する者としていただけるのです。
確かに、イエス・キリストを信じる者たちも肉体の死を経験します。しかしそれは刑罰としての死ではなくて、天国の入り口としての祝福なのです。イエス・キリストが十字架の死から三日目に栄光の体へと復活されたがゆえに、私たちはそのように信じることができるのです。