ごきげんいかがですか。羽生栄光教会の村田寿和です。
聖書は、人が神のかたちに似せて造られたと教えています(創世記1:26、27)。ですから、人にとって造り主である神さまを礼拝することは、最も自然なことのはずでありました。しかし、現実はどうでしょうか。残念ながら多くの人が造り主である神さまを礼拝せずに歩んでいます。
どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか。聖書は、その原因を始めの人アダムの罪にあると教えています。罪とは、神さまの掟に背くことです。アダムは、神さまが「決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」(創世記2:17)と言われていた木の実を食べて罪を犯しました。なぜ、アダムは禁じられた木の実を食べてしまったのでしょうか。それは、「それを食べると神さまのようになれる」という蛇の誘惑に負けてしまったからです。アダムの罪の根底にあったものは、自分を神とするおごり高ぶりでありました。罪を犯したアダムは、神さまを恐れて木の間に隠れたと聖書は記しています(創世記3:8)。
それゆえ、アダムの子孫である私たちも神さまを避けて、まるで神さまがおられないかのように人生を歩もうとするのです。「神などいらない。わたしの人生はわたし自身のものだ」。その言葉の中にアダムの罪があらわれているのです。