おはようございます。東仙台教会の立石彰です。
今朝は旧約聖書詩編3編3節と9節の御言葉をお読みいたします。
「多くの者がわたしに言います。
『彼に神の救いなどあるものか』と。
主よ、それでも、あなたはわたしの盾、」
「救いは、主のもとにあります。」
「お前に神の救いなどあるものか」。とても恐ろしく、悲しくなる言葉です。「お前のように罪深い人間が、神に救われる、そんなことがあるものか」と人は言うかもしれません。また、自分自身の心を見たときに、「こんな罪にまみれた私を、神様が救ってくださるとは思えない」と考えてしまうときがあるかもしれません。
詩編3編を書いたこの詩人は、「それでも」と言って立ち上がりました。「主よ、それでも、あなたは私の救いの盾です」。そして、最後に、「救いは主のもとにある」と力強く宣言したのです。
救いはどこにあるのでしょうか。誰か他の人の言葉の中にあるのでしょうか。あるいは、私自身の心の中にあるのでしょうか。そうではありません。そんなところをいくら探しても救いは見つかりません。救いは、ただ、主イエス・キリストのもとにあります。イエス・キリストの十字架を見上げるときに、そこに私たちの救いがあるのです。