おはようございます。ラジオ牧師の山下正雄です。
喉が渇けば水を飲み、畑が乾けば水をやるのは、誰もが知っている当たり前のことです。
旧約聖書の預言者イザヤ書にこんな言葉があります。
「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。 銀を持たない者も来るがよい。」 イザヤ書55章1節の言葉です。
預言者イザヤはさらに続けてこう記しています。
「耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。 聞き従って、魂に命を得よ。」
つまり、ここでは単に喉の渇きが問題なのではなく、魂のことが問題なのです。魂に命を得るために、神はご自身のもとへ来て飲むようにと招いていらっしゃるのです。
ところで、神はお招きになるときに「銀を持たない者も来るがよい」とわざわざおっしゃっています。タダで与えてくださるというのです。
新約聖書の一番最後に置かれている『黙示録』と呼ばれる書物の最後の章にも同じような言葉が記されています。
「渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。」(黙示録22:17)
この命の水がタダなのは、価値がないからではありません。そうではなく、神が貴い代価を代わりに支払ってくださっているからです。だからこそ、わたしたちには価なしに命の水をいただくことができるのです。