いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
牧師という仕事柄、様々な人たちの訴えをよく耳にします。それは「悩み」という言葉で表現するよりも、「怒り」に満ちた訴えであることがしばしばです。その怒りの矛先は人間であったり、社会であったり、政治であったり、場合によってはクリスチャンやキリスト教会であったりします。
そして、その怒りが吹き出てくる元をたどっていくと、不安から来る恐れであったり、その恐れを受け止めてもらえないことへの憎しみであったりします。しかも、それが理不尽としか思えないことのために、独り不安を強いられているという思いから出てくる怒りです。
なるほど安心して暮らせない社会では幸福な気持ちになることもできません。しかし、安心というのはどんなに人間が頑張っても、絶対の安心を自分で作り出すことはできません。結局は自分が何を拠り所として生きるのか、そこが肝心なのだと思うのです。
旧約聖書詩編の作者はこう言っています。
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。 苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない 地が姿を変え 山々が揺らいで海の中に移るとも」(46:2-3)
人生に確かな拠り所を持つときに、恐れからも憎しみからも解放されるのです