小さなことの積み重ね、大記録達成のイチロー選手がテレビで話していました。リスナーそれぞれがこの一年を振り返りながらいろいろな歩みを積み重ねてきました。それは小さな積み重ねの中に神様の恵みを数えてきた歩みでもあります。また、思いがけない試練の中に立ち止まって苦しんだ一年の歩みでもあったかもしれません。でも今日もこうして私たちは神様に生かされています。
私も様々なことを与えられながらこの一年を過ごしてきました。
ネット放送になって、文字放送も読んでいただけるようになりましたから、ずっとお話してきた番組の中で心に残る出来事もたくさんあり、もう一度文字放送でも読んで頂きたいと思う時があります。
もうすぐクリスマス、この時期になると忘れられないメールがあります。ネット放送がまだ今のように展開される以前ですが、「与えることの喜び」というメールをいただきました。
車椅子のリスナーMさんが以前新聞に投稿されたお気持ちです。全部ではありませんがご紹介したいと思いました。クリスマスが世界中でこのようならば…と思うお気持ちを書いて下さったのです。今は、番組がずっと過去放送データで聴けるようになりましたので、このMさんの思いを今年のクリスマスの時お伝えしておこうと思いました。
Mさんは、マザー・テレサの報道番組で強く感じたことを書かれたのです。「悲惨なカルカッタの現状の中なんとマザーたちの顔は、明るさと喜びに満ちているのだろう…この笑顔がある限り希望の灯は消えないと思った。凛と立つ裸木は美しい。余分なものをすべてそぎ落とした木、代わりに変幻自在に大空を纏う。持たざる者の美しさ。」を思うリスナーMさんの感受性に学ぶことができました。「…ここに一切れのパンがあったとしよう。それは自分一人で食べても美味しいが半分を誰かに分け与えたらどうなるか?もらった相手も美味しいし喜ぶ顔を見れば自分も嬉しい。与える相手が多くなれば、当然喜びも大きくなるというわけだ。以前、オーストラリアのクリスマスの話を聞いたことがある。市内の中心に飾られる大きなクリスマスツリーの脇には、箱が置かれていて、家族や親しい人に渡すプレゼントの他に、もう一つプレゼントを買った人が入れるように箱が用意されている。そして、集まったプレゼントは、難民や移民や孤児など恵まれない子供たちに配られるのだ。なんと素敵な習慣ではないか。こんなふうに他人の喜びを自分の喜びと出来るなら、世界は喜びで溢れかえり、人はもっと幸せになるだろう。与える者は見えるものばかりとは限らない。悩める人の話を聞いてあげること。孤独な人に微笑みかけること。見えない人に読んであげること。聞こえない人に伝えてあげること。あなたを必要としている誰かに手を差し伸べること。自分にも出来ることがきっとあるはずだ。そして、与えた人はやがて気づくだろう。与えれば与えるほど、多くのものを与えられ、愛に満たされた人間になったことを。結局、本当の豊かさとは与えることなのかもしれない…。」