おはようございます。南与力町教会の山村貴司です。
今お聞きになっているあなたは、今日も学校に行ったり、職場に出掛けたり、一生懸命に生活していることと思います。その中で、いったい私は何のために生きているのだろうか?何のために働いているのだろうか?と、自問自答したことはないでしょうか?
私は今から25年以上も前、その自問自答の中にいました。
私は20代、油絵の画家を目指し、パリへ留学していました。パリの古い石造りのアパートはアトリエ兼住宅でした。その部屋は壁中に絵が並べられ、その絵の数は多く、壁から私の方に迫ってきていました。
私は毎日一生懸命に絵を描いていました。朝から、晩まで、時の許す限り、絵を一生懸命描きつづけました。そして、パリで公募しているさまざまな展覧会に出品したり、個展を開いたりと、そんなような生活でした。
けれども、私は一体何のために絵を描いているのか?何のために一生懸命働いているのかはわからずにいました。
今思えばその当時、私はいい絵を描いて、世界一有名な絵描きになりたい、世界一有名になって、みんなから褒められたい・・・そんな風に思って生きていたのではないかと思います。当時私は、自分が有名になるために絵を描き、自分自身のために絵を描いていた、そのように生きていたのだと思います。
そんな時、私は一冊の本に出会いました。それは、カール・ヒルティーという人の本です。そこには、人生の目的は「自分のため」でなはく、「愛のためにある!」と記されていました。そこにはこうありました。「人生の道理にかなった目的は、地上に神の国を、つまり不和や生存競争の国ではなく、平和と愛の国を築くためにある!」
この愛のために生きるという生き方!これは、自分のために生きる生き方より、より大きく、そしてよりすばらしい生き方ではないでしょうか。
愛のために生きるという生き方は、一体どのような生き方なんでしょうか?これは、例えばもう少し具体的に言えば、自分を愛するより「家族を愛する」。そのような生き方であり、自分を愛するより「友達を愛する」。そのような生き方と言えるのではないでしょうか。あるいはまた、これは自分が豊かになるためではなくて、「社会が豊かになるために生きる」、自分が豊かになるためではなくて、「地球や自然が豊かになるために生きる」生き方、そうとも言えるのではないでしょうか。
フランスという国は、聖書の文化、キリスト教の文化といわれているように、そのように人や環境に優しい生き方が、暮らしの中によく溶け込んでいます。はたして日本はどうでしょうか?そして私たちは一体どうでしょうか。考えなければならないと思います。
ひるがえって、このように、自分を愛するよりも家族や周りの人々を愛する生き方、自分を愛するよりも社会や地球を愛する生き方。このような生き方がより豊かな生き方であり、神様が私たちに求めている生き方、神様が喜ばれる生き方なのではないでしょうか。