おはようございます。宿毛教会の酒井理恵子です。
今日は、日曜礼拝で聞いた「出エジプト記19章」の説教について、私が感じたことを皆さんと分かち合いたいと思います。
昔、神の民イスラエルの代表者である“モーセ”という人がいました。モーセとイスラエルの人々は、苦しいエジプトの生活を脱出して、三ヶ月かけてシナイ山に到着しました。そのシナイ山で神様は、モーセを通してイスラエルの人々におっしゃいました。「契約を守るならば、あなたたちは私の宝となる」と。
私はこれを聞いたとき、「契約を守るならば」という言葉に引っかかりました。条件付きで、「私の宝としてあげよう」、というのが腑に落ちなかったのです。条件が満たされなかったら、大切にしてくれないのか、と。しかし、そうではありませんでした。説教を聴きながら、どんなに神様がこのイスラエルの人々を愛しておられたのか、救い出そうとしておられたのかを知ることが出来ました。
この「わたしの契約を守るならば」の言葉の前に、「あなたたちは見た」と聖書にあります。何を見たのでしょうか。イスラエルの人々は、すでに神様からの十分な恵みを見ていたのです。エジプトの軍隊に追い詰められていたところを助けられ、空腹で死にそうなときには、食べ物を与えられ、その都度神様から助けられました。そのようにイスラエルの人々が契約を守れるように、すでに神様から恵みを与えられていたのです。イスラエルの人々は、神様の愛を身をもって体験し、間近で見てきたのです。
私は、今、高知県宿毛市に住んでいますが、それまでは愛知県に住んでいました。牧師を目指す神学生と結婚し、夫の学びのときを終えて、夫婦ともにこの宿毛という新しい地に来ることになりました。しかし、独身時代、結婚後、また宿毛教会に行くことが決まった後と、その時その時で、いろいろな不安と孤独を感じることがありました。もちろん喜びも希望もありました。しかし、時折このように考えてしまうのでした。こんなに信仰の弱い自分で大丈夫だろうか、自分だけ周りから取り残されているのではないか、人見知りで口下手な自分は人とうまくやっていけるのか、と。しかし、この「あなたたちは見た」という言葉を聞いて、神様に感謝しました。私は自分の力の無さに、不安や孤独を感じていたけれども、神さまは今の私を支えてくれようと、すでにあらゆる出来事や周りの人たちを与えてくださっているのだと。私がどうこう思う前に、神様の方から本気で私を大切にしてくださっている。本当に力づけられました!
これまでのことを思い返すと、一つ一つが神さまが備えてくださったのだと思うことができます。たくさんの周りの人たちに祈られ、支えられ、守られていました。苦しくつらい時もありますが、神様が「わたしの宝」にしようと働きかけてくださっていることを心から感謝したいと思います。最後に、出エジプト記19章の一部をお読みします。
「今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちはすべての民の間にあって、わたしの宝となる」(出エジプト記19:5)。あなたの上にも、神様の愛と祝福が豊かにありますように。