おはようございます。山脇栄子です。
南向きの広い縁側に座り、ラジオを抱えるようにして、この「キリストヘの時間」の放送を楽しみに待っていてくださる猪野秀喜おばあちゃん、お元気で今日も聞いていたくださっていますか?
高知市から約30km東、芸西村に住んでおられる猪野さんは、教会に中々行くことができません。南与力町教会の婦人会を代表して兼松さん、丸岡セイコさんと共にクリスマスにお訪ねすることになりました。芸西村のロイヤルホテルのすぐ近くに猪野さんのお宅はあります。あらかじめお訪ねすることを、お知らせしてありましたので、ロイヤルホテルの駐車場まで迎えに来てくれていました。とても90歳を半ば過ぎた方とは思えないような元気な姿で、こっち、こっち、と手招きしながら「今日の日を待っていたぞね」とにこやかにお宅へ導いてくれました。
懐かしい思い出話の中で、一枚の色紙を取り出して、これをあなたに持っていてもらいたいと手渡されました。そこには「栄華を極めたときのソロモンさえこの装いは、この野の花の一つにも及ばざりき 1974年 クリスマス 亘」と書かれていました。これは、当時の南与力町教会を牧しておられた橋本亘先生のお書きになられたものです。
猪野さんは1913年、大正2年に生まれ、30歳を過ぎて初めて教会を訪ね、1952年12月に洗礼を受け、現在に至るまで神様を信じ、日々祈り、感謝の毎日を送っていますとおっしゃっています。
高校時代に初めて教会を訪ねた私には、教会そのものも珍しく、又そこに集って来る方々がどのような思いで教会に出席しておられるのか、不思議に思いました。若い日の自分の教会生活を振り返ってみると、そこでは多くの年配の方々の信仰生活に触れ導かれたことを覚えます。いつもにこやかな笑顔で私達若者を迎えて下さった猪野さんが、教会に出席しようとしたきっかけをお尋ねしました。
戦争、空襲、終戦を迎え、職場復興を目指して骨身を惜しまず働き、働くことのみを考え、ふと気が付けば世の流れに追いつけずにいる自分に気付き、とても不安になりました。キリスト教会というところへ行ってみたいと思う反面、教会は随分難しいところのように思え、悩みながら祈りとは何かも知らずに「神様どうかクリスチャンの友だちをください」と毎日祈っていたそうです。ところがある日、未信者の知人から讃美歌を頂き、そして「南与力町というところに入りやすそうな教会があったき、そこに行って後ろの端で座っておったらいいわね」と教えてくれました。
言われたとおりに南与力町教会を訪ね、古い讃美歌を持って後ろの端の席に座り、何もわからないまま讃美歌404番「やまじこえて」を歌いました。なんと頂いた古い讃美歌には楽譜はなく、歌詞のみが書かれてあったようですが、幸いその歌は知っていたので歌って、話は何もわからず、でも次にも来たいなと思い、横に座っていた人に「わたしは初めてで何もわかりませんが、また来週も来ます」と挨拶をすると、横の婦人は驚いて「まあなんぼいうたちあんたが古い讃美歌を持っちよったので、他の教会の信者さんと思って話しかけるのを遠慮しちょったわね」と笑って、いろいろと教えて下さったのが、なんと橋本牧師夫人でした。今になって思うことは、毎日の生活の中に教会に行ってみてよかったと思えることばかり、全てを感謝して神様の恵みに支えられて今に至っていますと言って、話をして下さいました。
日曜日の朝7時30分、今日は誰のどんなお話だろうと楽しみに待っていてくださる猪野さん。各教会にもまた病院や人里離れた所でも、この放送をお聞きになられていらっしゃる方が、ラジオを通して神様は私たちに心の平安と豊かな恵みを与えて下さるようにお祈り致します。
最後に、猪野のおばあちゃんがいつも聖書にはさんでいる大切なメモを見せてくださいました。それには「天の神に感謝せよ、その慈しみは永久に絶えることがない。讃美歌は7番・猪野秀喜」と書いたメモです。自分は天の神様を信じているので、他の色々の事柄に心を迷わすことのない生活をしていることを、本当に喜びに満ちあふれたお顔で話して下さいました。
訪問した私達は、逆に多くの宝物を頂き、心豊かなクリスマスとなりました。いつのときも天に宝を積む者として、喜びの人生を歩むことができるようなら、なんと幸せな日々となることでしょう。
猪野さん、またお会いしましょう。