おはようございます。清和学園の後登雅博です。
皆さんは、まったく知らないところに行くときにはどうしますか? きっと、よく下調べをしてから、出かけると思います。私は、どちらかと言うと方向音痴ですので、初めてのところに出かけるときは、出来る限りの下調べをしてから出かけます。地図やインターネットを使って、道順を調べ、近くに何があるのかを調べてから出かけることにしています。知らない場所に出かけるときに下調べをするのは、すんなりと目的地に着きたいからです。
さて、聖書には次のように書いてあります。「心を尽くして主に信頼し、自分の分別には頼らず、常に主を覚えてあなたの道を歩け。そうすれば主はあなたの道筋をまっすぐにしてくださる。」
この聖書の中心的なメッセージは、「あなたの神を信頼せよ」ということです。何はなくともまず神を信じることが大切だというのです。「心」という言葉ですが、旧約聖書で「心」というとき、それは感覚的な意味で言う「心」ではありません。たとえて言うなら、「心臓」とでも表現したいところです。「心」とは、現実に手にとることができるような、そして人間にとってなくてはならない部分という意味です。
ですから「心を尽くして主に信頼し」とは、自分自身の全存在において、神を信じなさい、ということです。片手間に信じるのではありません。全幅の信頼を寄せて信じなさい、というのです。徹底的に神を信じることができたら、あなたのすべての道を神がまっすぐにしてくださる、というのです。神を信頼して歩むなら、道に迷うことがないというのです。
自分がどこにいるのか分からなくなって、道に迷います。私の場合、道を何度も曲がっているうちに、方向感覚を失ってしまうのです。そして、自分が東西南北のどちらに向かっているのかがわからなくなり、道に迷います。ところが、まっすぐな道なら迷うことはありません。まっすぐな道であれば、地道に進んでいればちゃんと目的地に着くことができます。神は、迷いやすい人のために、道をまっすぐにしてくださるというのです。
では、まっすぐな道とはどこへ向かっているのでしょうか。それは、神の国です。天国というと分かりやすいでしょうか。神を信じる人は、天国へと通じる道をまっすぐに歩むことができるのです。イエス様は言われました。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14:6)
私たちが人生の歩みを進めるときに、イエス様を信じるなら、確実に神の国という目的地に着くことができます。何故なら、イエス様は私たちを神の国へと導くために、私たちのところにまで来てくださったからです。そして、神の国に入る道を示してくださいました。
イエス様が示してくださった道、それは、十字架の道でした。イエス様は、十字架の上で苦しまれましたが、神に従い続けるなら神の国に入れるということを示してくださったのです。もしかしたら、神の国に入るために苦しむことがあるかもしれません。でも、神の国へと至る道は、決して苦しみでは終わりません。イエス様の人生の最後は、十字架の苦しみで終わったのではないからです。イエス様は十字架の死から甦り、むしろ栄光のうちに神の国へと入っていかれたのです。
聖書は、「常に主を覚えてあなたの道を歩け。」といっていました。私たちは、十字架に架かり、しかし甦ったイエス様を覚えつつ、神の国へといたる道を歩みたいと願います。