タイトル: 改革派とは? 埼玉県 J・Iさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は埼玉県にお住まいのJ・Iさん、女性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
「毎回拝聴しております。大変良く解ります。いつも思っていたのですが、改革派とはどのような意味ですか。お伺いいたします。」
J・Iさん、毎回番組を聴いてくださっていらっしゃるとのこと、大変嬉しく思います。また、今回はご質問のお便りありがとうございました。
今回のご質問は「改革派」という言葉の意味のご質問です。もちろん、改革派という言葉自体は、キリスト教の専門用語ではありません。一般の社会でも保守派や旧勢力に対して、旧体制を改めようとする進歩的な派閥を「改革派」と呼ぶことがあります。
ちなみに広辞苑で「改革」という言葉を引くと、二番目の意味として「目的が国家の基礎に動揺を及ぼさず、方法も暴力的でない変革」と出ています。これは「革命」が暴力的で国家の基礎に動揺を及ぼすほどの変革なのに対して、改革の方はもう少し穏やかな変革ということを言っているのだと思います。
さて、キリスト教会の用語として「改革派」という場合には、今述べたようなこととはかなり違った意味で使われています。まず、キリスト教会で「改革派」という言葉が使われるとき、それは正式には「改革派教会」のことを指しています。
では、「改革派教会」とは何か、と言うと、それはプロテスタント教会の中の一つの教派であると一般的には考えられています。ルター派やウェスレー派の教会という言い方に対しては、「カルヴァン派の教会」という言い方をする人もいます。しかし、宗教改革者の一人であったジャン・カルヴァン自身が、自分の名前で教会を呼ぶことはありませんでしたし、そのことを望みもしませんでした。
では、「改革派教会」とはどんな特色を持った教会なのでしょうか。実は、その呼び名こそ、この教会の特徴をもっともよく物語っています。
「改革派教会」という呼び名は、正式には「神のみ言葉によって常に改革されつづける教会」と言われています。先ず第一に、何よって改革されるのかというと、それは「神のみ言葉によって」です。この場合の「神のみ言葉」というのは、具体的には聖書66巻と言い換えることができると思います。
つまり、教会がよって立つ権威の源泉は神の言葉である旧新約両聖書66巻だけであると信じる立場です。
では、聖書に書かれていないことはまったく認めないのかというと、そうではありません。あくまでも、これはキリスト教信仰と生活の基準という意味に限られています。教会が何を信じるべきなのか、教会がどのように立つべきなのか、教会に連なる人々はどのように生きるべきなのか、こうした問題に関して、徹底的に聖書66巻に耳を傾けようとする立場です。それ以外の分野に関しても、すべて聖書から結論付けようとする立場とは異なります。
また、聖書の字句にこだわって、聖書が直接語っている事柄だけを受け入れるという立場とも異なっています。聖書から正当に導き出すことができる結論も含めて、それによって改革されようとする教会です。
また「神のみ言葉によって常に改革されつづける教会」という呼び名が示している二番目の特徴は、「常に改革されつづける」と言う点です。改革派教会は改革された過去の教会ではありません。そうではなく、今もなお聖書の言葉に耳を傾け改革されつづけようとする教会です。
キリスト教会には伝統的な信仰基準と呼ばれるものがあります。古いものでは使徒信条、ニカヤ信条、アタナシウス信条、カルケドン信条が有名です。宗教改革時代以降、プロテスタント教会にも様々な信仰基準が生まれました。改革派教会のものに限っても30数個の信条が生み出されました。ハイデルベルク信仰問答やウェストミンスター信条などは日本語でも読むことができる有名な改革派の信条です。
こうした信条は、教会が神の言葉である聖書にどう聞いたのかという証でもあるのです。そうした信条を次々に生み出すということは、言い換えれば、時代ごと、地域ごとに絶えず神の言葉に聞きなおして、自分たちの言葉で信仰を告白し、神の言葉に従い続けようということです。
そういう意味で、改革派教会というのは、過去に一度だけ改革された教会なのではなく、常に改革されつづける教会を目指しているのです。
ところで、「改革派教会」の「改革」という言葉は、ラテン語のreformareという言葉から来ています。この言葉は「形作る」ということを意味するformrareという言葉に、「再び」とか「後ろに」という意味を表す「re」という言葉が頭についてできた単語です。「再び形作る」、あるいは、「後ろに向かって形作る」ということが「改革」ということの本来の意味です。特に教会の改革という場合には、ただ単に作り直すのではなく、まして、新しく作り直すのでもありません。聖書的な本来の教会の形に再び戻すことが、「改革」の意味だと考えられています。
そういう意味では、宗教改革によって生まれたプロテスタント教会は、広い意味ではどれも「改革派教会」といえるかもしれません。
では、宗教改革時代に生まれた他のプロテスタント教会とどこがどう違うのか、と問われれば、先ほども述べた二つの点は大きな特色だと思います。
つまり、改革の基準点が神の言葉であること、しかも、その場合の神の言葉とは何を含み、何を含まないのかという点について一致した考えを持っていること、また、そのことには神の言葉に関する継続した研究が含まれています。
もう一つの点は、より聖書的な教会であろうとする姿勢が、信条として具体的に表明され続け、その信条にのっとって教会を形成しようとしつづけているかどうか、ということだと思います。
最初の点に関しては、どのプロテスタント教会もほとんど同じ姿勢であるといえるかもしれません。二番目の点に関しては、教会の信条そのものを持たないという立場の教派もあるでしょうし、持っていたとしても、新しい信条の制定に消極的な教派もあります。その点は、同じプロテスタントでも改革派教会の特徴だと思います。
まだ他にも細かな点で、改革派教会の特徴をたくさん挙げることができると思いますが、逆にもっと大雑把に言えば、すべての出発点を人間の側に置くのではなく、神の側におくことを目指す教会でであるということです。ですから、改革派教会でよく好んで使われる言葉は、「ただ神の栄光のために」とか「神中心の」とか「神の主権」という表現です。そのように徹底的に神の御前に生きる教会であるために、神の言葉によって絶えず改革されつづける教会でありたいと願うのが改革派教会の特徴ということができると思います。
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