BOX190 2009年10月14日(水)放送    BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: 伝道師とは? 栃木県 S・Mさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は栃木県にお住まいのS・Mさん、女性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。

 「牧師と伝道師の違いはどういうところですか。伝道師になるためには、どこの学校でどれだけ学ぶとなれますか」

 S・Mさん、ご質問ありがとうございました。S・Mさんご自身が伝道師になろうと思っていらっしゃるのでしょうか。あるいはお知り合いの方に、伝道師を目指している方がいらっしゃるのでしょうか。いずれにしても、教会での働き人に関心を抱いてくださってとても感謝です。

 さて、最初のご質問ですが、牧師と伝道師の違いはどういうところでしょうか。

 この質問は簡単に答えられそうで、実はそうではありません。というのも、もしこの質問をカトリック教会の人に尋ねたとしたら、おそらく「牧師」という言葉も「伝道師」という言葉も、カトリック教会の用語にはありません、という答えが返ってくるかもしれません。
 では、同じ質問をプロテスタントの人に尋ねたらどうでしょう。「牧師」の働きに関してはほぼ同じような答えが返ってきたとしても、「伝道師」に関しては答えがいろいろだと思います。極端な話、「うちの教派には伝道師という言葉はありません」という答えがかえってくるところもあるはずです。
 そうなると、「牧師と伝道師の違いは?」という質問そのものが意味をなしません。ないものを比べることはできないからです。

 有償無償に関わらず狭い意味での教会での固有の働きのことを教会の「職務」と呼んでいます。「狭い意味」といったのは、教会にはそれぞれ特別な賜物を持った人がいて、その賜物に応じてさまざまな奉仕の業をしているからです。たとえば特別に雇われて教会の事務処理をする人もいるでしょう。あるいはオルガンで礼拝の奏楽を担当する人もいます。教会学校の先生をする人もいます。あるいは教会でのお昼ご飯を用意する人もいます。こうした奉仕はりっぱな働きに違いありませんが、しかし、教会の職務というときには、これらの働きは普通含まれていません。

 わたしが所属している日本キリスト改革派教会の場合、教会固有の職務というと、御言葉と礼典をつかさどる教師の職務、教会を治め監督する治会長老の職務、そして執事の職務の三つであるといわれています。それらの職務に就く場合、教会によって正式に按手を受けることになっています。按手はカトリックの用語では叙階にあたるものです。

 では「牧師」も職務ではないのかというと、そうではありません。牧師は職務の名称としては「教師」に含まれています。ちなみにエフェソの信徒への手紙4章11節に「ある人を牧者、教師とされた」という表現が出てきますが、これは「ある人を牧師とし、ある人を教師とした」と言う意味ではなくて、「ある人を牧師、すなわち教師にした」という意味に理解しています。
 同じように「宣教師」や「神学教師」も個別の職務ではなく、「教師」に含めて考えています。

 では、「伝道師」はどうなのかというと、日本キリスト改革派教会の場合、「伝道師」という用語は教会の職務としてありません。ただ、教会で御言葉の説教をする資格を与えられた教師候補者が、教会から呼ばれて働きにつく場合、按手を受けるまでの期間、「伝道者」と呼ばれます。この場合、牧師との違いは、洗礼を授けたり、聖餐式を執り行ったりできないという点です。それから教会会議の正議員になれない点でも、牧師と異なります。ただ、いずれは牧師になるという点で、「伝道者」という固有の職務があるわけではありません。

 もっとも先ほど引用したエフェソの信徒への手紙4章11節には「ある人を福音宣教者にした」とありますから、初代教会には使徒や預言者や牧師・教師に並んで「福音宣教者」という職務もあったのだと思われます。この「福音宣教者」と訳されるギリシャ語は「エウアンゲリステース」と言う単語で、英語のevangelist、つまり伝道師の語源です。ただ、「エウアンゲリステース」が何かというと、新約聖書では使徒言行録21章8節で「七人の一人である福音宣教者フィリポ」という言い方がなされています。この人は使徒言行録6章でステファノらと一緒にエルサレムの教会で選ばれた人物で、エチオピアの宦官に福音を伝えた人です。
 またテモテへの手紙二の4章5節でテモテ自身が「福音宣教者」と呼ばれ、「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」と命じられています。

 ただし、「福音宣教者」と呼ばれる職務が、「教師」や「長老」や「執事」などと一緒で恒常的な職務として現代の教会にも与えられているのか、それとも、「使徒」や「預言者」のように一時的に教会に与えられた職務なのか、教派によって理解の違うところであると思います。

 さて、もう一つのご質問ですが、「伝道師となるためには?」ということですが、最初のご質問でお答えしたとおり、「伝道師」という職務があるのか、ないのかはそれぞれの教派によって立場が違います。あると考える立場にたつ教派であれば、その職務に就くためにふさわしい資格が定められているはずです。そして、その資格を与えるために必要な教育と訓練のプログラムがあるはずです。

 ですから、この答えはそれぞれの教派によって違うとしか答えようがありません。

 ただ、「福音宣教」を行うことが伝道師の働きであるとすれば、福音についての理解は当然必要です。もちろん、それは知的な理解というに留まりません。
 また知っているというだけではなく、それを伝えるという賜物も必要です。それは単に伝える技術の問題だけではありません。
 そうした総合的な賜物が既に与えられていて、さらに訓練と教育によってその賜物をよりよく伸ばすことの出来る人でなければならないでしょう。もちろん、自分がその働きに召されているという召命感は一番大切です。

 その上で、どんな教育と訓練のプログラムが必要であるのかは、ご自分が働こうとしている教会の牧師に直接お聞きになってください。

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