タイトル: なぜ1%を超えられないのですか? ハンドルネーム・casaさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は県にお住まいのハンドルネーム・casaさんからのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、こんにちは。今年は日本プロテスタント宣教150周年に当る年だそうですが、150年たった今でもキリスト教はこの国でほとんど定着していないように思えます。人口の1%を超えられない理由はいったい何処にあるのでしょうか。先生のお考えをお聞かせください。
よろしくお願いします」
casaさん、お便りありがとうございました。確かに日本が長い鎖国の時代に終止符を打って、開国の時代を迎えてから150年経ちましたが、日本のキリスト教人口が総人口の1%に満たないと言うのは残念ながら事実です。手元にあるキリスト教年鑑の統計によると、1948年の時点で、プロテスタントもカトリックもすべて含めて、人口に占める割合は0.4%ほどでした。それから60年経った今でもまだ0.9%ですから、なかなか定着していないようにも見えます。ただ、戦後ずっと増えつづけてきた人口に対して、ある一定の割合以上を保ちつづけてきたのですから、少なくともジリ貧ではないようです。
しかし、そうは言ってもお隣りの国、韓国のキリスト教人口の伸びと比較すると、日本のキリスト教人口は全然伸びていないといってもよいくらいです。
人口に占める割合もそうですが、クリスチャン人口そのものの伸びも戦後の60年間で見るとわずかに3.3倍程度です。元々の数字が小さいのでキリスト教会が日本において順調に伸びているとは、お世辞にもいえない数字でしょう。
それでは、いったいキリスト教の伝道が遅々として進まない理由は何処にあるのでしょうか。
しかし、こういう問いの立て方は、危険な面も孕んでいることに注意を払う必要があるように思います。つまり、妨げとなっている原因さえ取り除けば、もっとキリスト教人口を延ばすことができるのではないか、という短絡的な結論に急いでしまう危険です。
人がキリストを救い主として受け入れるかどうか、と言う問題は、条件さえ整えば、どのようにでも解決できると言うものでもありません。聖書自身も証言しているとおり、聖霊によらなければ、だれも新しく生まれることはできず、神の国に入ることはできないのです(ヨハネ3:3-5)。また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」と告白することはできないのです(1コリント12:3)。ヨハネによる福音書が語っているとおり(ヨハネ3:8)、まるで風が思いのままに吹くように、聖霊の働きもそれと同じなのです。どの時代、どの地域にどうして聖霊がそのように働くのかを予測することはできないのです。
けれども、すべては聖霊任せだとする考えもまた反対側の極端だということができると思います。聖霊は思いのままに働かれますが、物事や人間を通して働かれると言うのも事実です。日本でキリスト教が伸びないでいるその深い理由については知ることはできませんが、どんな事柄が妨げになっているのかを考えることはできると思います。
まず、キリスト教人口という場合、キリスト教会によって受け入れられた人数をカウントしていることはいうまでもありません。そして、それは普通、教会の正式な手続きによって洗礼を受けた人の数です。自称クリスチャンという人も含めれば、ひょっとしたらもう少しは数が増えるかもしれません。
それはさておくとして、キリスト教の教えに興味をもつということと、教会に来て礼拝を守り、やがて洗礼を受けるということの間には、大きなギャップがあると言うことです。
「キリスト教会は敷居が高い」という言葉をよく耳にしますが、この言葉はキリスト教が何故日本で伸びないのかの、一つの状況を物語っているように思います。
もちろん、この言葉を口にする人の全員が、文字通りの意味でそう言っているとは限らないということもあるかもしれません。もともとキリスト教に関心がないのを教会の敷居の高さのせいにしているだけに過ぎないと言う場合もあるでしょう。
しかし、そうした例外があるとしても、この言葉は耳を傾けるに値する言葉であるように思います。
「キリスト教は敷居が高い」というのは、言い換えれば、「キリスト教は民衆の宗教ではない」ということでしょう。少なくとも多くの日本人にとって、キリスト教は身近な宗教ではないということなのでしょう。
その場合よく言われることは、幕末から明治初期にクリスチャンになった人たちは、ほとんどが武士階級の人間で、インテリ層に属していたということが、民衆の宗教にならなかった原因だということです。
実際、翻訳された聖書も文語訳の格調高いものでしたから、そもそもある程度の教養を前提としていると言うことです。
さらに、開国後最初にやって来た宣教師たちは、まだ日本がキリスト教を禁止していた時代でしたから、直接に民衆に布教することはできませんでした。そのかわりに、英語を教えるという名目で塾や学校を開いたのですから、当然、集まってくる人間は社会の上層部を目指そうとするような人たちです。
こうした事柄が「キリスト教は敷居が高い」という印象を築き上げていったのは、ある程度事実かもしれません。
キリスト教が日本では民衆の宗教とはなりにくかった理由は他にもあると思います。
それは、長い間の鎖国時代に培われた、キリスト教に対する徹底的な偏見です。檀家制度そのものが民衆からキリスト教を排除するために幕府が作った制度です。それは非常な影響力を後々まで残したと言えると思います。その点では幕府の政策は時代を超えて成功したのかもしれません。
さらに、明治時代に入って近代国家の仲間入りを急ぐ日本には、西洋の近代的な科学技術を取り入れざるをえないという、西洋に対する脅威と憧れがありました。と同時に、大和魂だけは譲れないというプライドあるいは西洋に対する劣等感もありました。「和魂洋才」という言葉がそれを良く表現しています。したがってキリスト教に帰依するということは、魂までも西洋に明渡してしまうという考えから、キリスト教が敬遠されるようになったのでしょう。
さらに、近代国家として力をつけていく必要のあった明治初期の日本にとって、西洋から様々なことを学ぶことは避けて通れませんでした。しかし、学問技術を学ぶために雇った外国人は必ずしもキリスト教に対して好意的な人たちばかりではありませんでした。残念なことに、開国によってキリスト教の宣教師たちがやって来た時代と同時に反キリスト教的雰囲気も入ってきたと言うことです。
アメリカの長老教会から派遣されたルーミスという宣教師の書いた手紙の中に、ドイツ、フランス、イギリスス人の悪い影響について記したくだりが出てきます。
まだ他にも原因があるかもしれませんが、こうした事柄がどれか一つではなく、相互に影響しあいながら、キリスト教の民衆への広がりを阻んできたのではないかと思います。
それともう一つ、最後に加えるとすれば、日本のキリスト教会が戦争中に国家に対して妥協的であったことも、民衆の信頼を失う原因の一つであったかも知れません。
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