タイトル: 教派の違いは? ハンドルネーム・tadaさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネーム・tadaさんからのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、久しぶりに質問いたします。
去る7月8日、9日に横浜で開催されました日本プロテスタント宣教150周年記念大会に参加しました。いろいろなプロテスタントの教団や会派の方々が参加されていましたが、その違いがわかりません。
また、それぞれの教団や会派の信徒の方々は、その違いを分かって所属しているのでしょうか? それとも、単に自宅が近いという理由でしょうか?」
tadaさん、お久しぶりです。メールありがとうございました。今までいただいたたくさんのご質問に、まだ全部お答えしていませんが、今回のご質問は日本プロテスタント宣教150周年記念大会に関連したご質問ですので、新鮮さがなくならないうちに先に取り上げることにしました。
さて、日本にプロテスタントの諸教派が、いったいいくつあるのか、実はわたし自身も正確なところは知りません。全国に百以上の教会・伝道所を持つ代表的な教派ということなら、すぐにいくつかの教派の名前を挙げることができます。しかし、小さなグループも含めるとなると、ほとんど名前を聞いたこともない小さな教派もあります。もちろん、プロテスタントの教会の中には、教派という考えすら持たない、どこの教派にも属さない単立の教会も多数あります。
今、手元にある2009年度版のキリスト教年鑑に掲載されている教派の数を調べてみましたが、ざっと260近い教派がありました。260近い教派の名前すら覚えきれないのですから、それぞれの教派の違いなど、全部を知っている人はまずいないと考えてよいでしょう。
これはあくまでも教派の数ですから、これに単立の教会も加えるとなると、もうその違いを把握するのさえ、お手上げ状態です。
tadaさんが日本プロテスタント宣教150周年記念大会に参加されて、いろいろなプロテスタントの教団や会派の方々をご覧になって、その違いが分からないとお思いになったのも無理もないことです。しかも、その会に出席していたのは日本にあるすべてのプロテスタント諸教派ではありません。
そう言ってしまうと、随分無責任にたくさんの教派が日本にはあるように思われるかもしれません。確かにそのすべての教派の名前と違いを把握している人はいないとしても、少なくとも自分の所属している教会の教派がどういう歴史と特色をもった教派であるか、という知識はもっているはずです。もちろん、これとても教会員すべてが同じ知識の深さであるとは言いません。ただ教会を担う責任のある牧師や教会役員たちは、自分たちの教派について最低限の知識はもっているはずです。
そもそも、教派がなぜ生まれるのか、ということに関して、その理由を考えてみると、だいたい三つぐらいの理由があるように思います。
もっとも大きな理由は神学的な論争、あるいは教理的な論争から生まれる教派です。そもそもプロテスタント教会が生まれたのは、ローマカトリック教会と神学的に一致することができなくなってしまったことが一番の原因です。そして、その後も聖書の解釈や理解を巡って、多数の教派が生まれるようになります。神学的な見解を一致させることができないというのは、とても残念なことです。しかし、信仰上の良心に反してまで、表面的な一致を優先させることが大切かというと、そうでもないでしょう。だれも自分の良心に反することを信じることはできません。
教派が生まれる第二の理由は、言葉や民族や住む場所による場合です。それは教派が生まれるよりも前に、人の交流がすでに分かれている場合です。
例えば改革派教会と名のつく教会は全世界でいくつもあります。アメリカにもオランダにも、フィリピンにも、ほとんど全世界の国々にあります。こうした教派は神学的な違いによるのではなく、話す言葉や住んでいる国によって教派が分かれているに過ぎません。信仰が同じなのですから一つの教派にまとまればよいような気もしますが、しかし、それでは何かの意思決定をする場合に動きが取れなくなってしまいます。こういう教派の生まれ方は便宜的なものと言ってよいでしょう。
教派が生まれる第三の理由は、外国からの教派の輸入です。日本の場合、このケースが一番多いのですが、既に海外で誕生した教派が、宣教師を送って現地に教会を建てると、宣教師が所属する教派の数だけ教派が誕生してしまいます。あるいは移民によっても教派がそのまま持ち込まれることがあります。アメリカのようにたくさんの移民から成り立つ国では、アメリカに移民する前に人々が所属した教派が移民と一緒にそのまま入っててきます。
日本の教会の場合、教派の輸入によって教派がたくさん生じてしまうことは避けられませんでした。特に戦後、この傾向は著しくなって来ました。もちろん、19世紀にになって日本に最初にやって来たプロテスタントの宣教師たちは、こうした教派主義の弊害を懸念して、最初から教派を超えた教会を作ろうと努力したのも事実です。「教会」という言葉を使わずに「公会」という言葉を使ったのはその表れだといわれています。また、こうした公会主義の流れは、1941年に成立した日本基督教団にその実を結んだとする見方もあります。
しかし、戦後、この日本基督教団から神学的な理由で抜け出した教派もいくつかあります。それらの教派には、自分たちの教派の成立が単なる教派の輸入ではなく、自覚的な意識をもって教団と袂を分かつことになったという自負心があることも否めません。もちろん、教団内に留まった教会にも留まるだけの信仰的な自覚があることは言うまでもありません。こうした歴史を経てきた日本のプロテスタント教会ですから、まったく教派意識に乏しいとはいえません。
さて、最後に、信徒が教派を選ぶ理由ですが、それは必ずしも神学的な理由ばかりとはいえないように思います。転勤先に今まで所属していた教派の教会がなければ、違う教派の教会の礼拝にあずかり、そこで教会員として教会生活を送ると言うこともあります。
あるいは、生まれて初めて教会に行くというような場合には、最初から教派の歴史や違いを調べ上げてから行く教会を選ぶ人の方が少ないでしょう。第一、そういうことができるのは無数の教派がひしめき合っている大都会に暮らしている人だけです。調べたところで、自分の住む場所には教会が一つしかないというところもあります。そういう人は教派を選ぼうにも選びようもないのです。
単に自宅から近いという理由で、行く教会を選ぶと言うことも決して間違った選択だとはいえません。わたしが初めて行った教会は、たまたま改革派教会でしたが、それはいつも目にしていた生活圏内の唯一の教会だったからです。ただ、行く前に一つだけしたことは、「改革派」というのがどういう教会なのか、百科事典で調べてみただけです。少なくとも変な教会ではなさそうだということだけを確かめて行ってみました。教派について意識するようになったのは、その後のことです。
わたしにとっては居心地のよい教会でしたが、しかし、去っていく人もいました。その人が以前通って慣れ親しんできた教派とは違う違和感を感じたからです。その人にしてみれば、ただ単に近いからという理由だけでは、満足できなかったと言うことでしょう。そういう意味では、その人にとっては教派に無頓着ではいられないと言うことなのだと思います。
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