いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネームtadaさんからのご質問を四つまとめて取り上げたいと思います。まずは最初の質問です。
わたしはキリスト教の絵画や彫刻を事細かく調べたわけではありませんので、すべての作品がみなそう描かれているのかどうかは分かりません。ただ、「ピエタ」と呼ばれるいくつかの作品に描かれる、十字架からおろされたばかりのイエス・キリストの姿を見ると、なるほどtadaさんのおっしゃるとおり右のわき腹に傷跡が残っています。「イエス様の十字架上や、復活した絵を見ると、磔にされた傷跡が両手の平と足、そして、脇腹に描かれています。そこで質問です。脇腹の傷は、ヨハネの福音に記されているように、兵士が槍でイエス様の脇腹を刺した、跡です。どの絵を見てもイエス様の右脇腹に傷跡が描かれていますが、福音書には右側とは書いていません。どうして、右側ばかりがが描かれているのでしょうか?」
聖書の中には神が思いを変えられるという書き方が他にも何度かあります。例えば、アブラハムは神がソドムの町を滅ぼそうとされるのを知って執り成しをします。神はそこに50人の正しい人がいれば、その町を滅ぼさないと約束しますが、アブラハムがさらに執り成すと、とうとう十人の正しい人のために町を滅ぼさないと約束します。この記事も一見すると、アブラハムのとりなしで神は思い変えられたように思えます。「出エジプト記32章10節で、神はモーセに『わたしの怒りは彼らに対して燃え上がっている。わたしは彼らを滅ぼし尽くし、あなたを大いなる民とする。』と言っています。これに対してモーセは、神をなだめて、『燃える怒りをやめ、御自分の民にくだす災いを思い直してください。』と言っています。そして、神はこれに応えて ”思い直して”います。神とは、人によって、諭される存在でしょうか。」
これについてはおっしゃるとおりだと思います。もし、目の前にきょうの食べものに困っている人がいるのに、その人に食べ物を与えないとすれば、それはキリスト教を持ち出すまでもなく、非人道的であると非難されても仕方ありません。「ローマの信徒への手紙12章15節には、『喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。』と記されています。愛餐会と称して、教会で飲み食いするキリスト者たちは、その食べ物を困窮している人たちに、分け与えるべきではないですか。」
この点に関しては、そうであるとも、そうでないとも言うことができません。イエス・キリストご自身、マルコ福音書の中でこうおっしゃっています。「宇宙は、NASAによると、約137億年前に生まれたと推定されています。地球は、誕生してから約46億年経過していると推定されています。イエス誕生からは、約2000年でしかありません。
宇宙の歴史を、1年の長さに例えるなら、つまり、宇宙が誕生した時を、1月1日の0時とし、現在を12月31日の24時とすると、イエスが誕生した時点は、12月31日の23時
59分55秒です。つまり、宇宙誕生からの時間と比較すると、イエスが誕生してから、たったの5秒しかたっていないのです。世の終わりはいつかは来ると思いますが、それは、この先、何百億年も先のことではないでしょうか。」