タイトル: パウロの伝道旅行はどんな旅? 愛知県 K・Kさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会がお送りするBOX190。ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は愛知県にお住まいのK・Kさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。
「使徒言行録は、著者はルカとされていますが、このルカは三回の伝道旅行にずーとパウロについていったのでしょうか? 何人くらいで旅をしたのでしょう? どんな旅だったのでしょう?」
K・Kさん、お便りありがとうございました。今回のご質問は「使徒言行録」に出てくる伝道旅行と呼ばれている箇所についてのご質問です。
その前に、聖書にまだ馴染んでいらっしゃらない方のために、まず「使徒言行録」という書物について簡単にお話したいと思います。新約聖書の5番目におかれている書物が「使徒言行録」です。日本語では他に「使徒行伝」と呼んだり「使徒の働き」などと呼んだりします。
キリストが復活して天に昇られたあと、ペンテコステの日に弟子たちに聖霊が降り、初代キリスト教会が活動を始めます。使徒たちの働きによって神の国の福音が宣べ伝えられて、教会が広がっていく様子が描かれます。正確な表現ではありませんが、福音書がイエス・キリストの伝記であるのに対して、使徒言行録は初代キリスト教会の歴史です。
「使徒言行録」、つまり初代教会で活躍した使徒たちの教えと働きが記されているのですが、実際にはほとんどペトロとパウロの活動が中心です。後半は特にパウロの働きにスポットが当てられています。
復活のイエス・キリストは弟子たちに「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」(使徒1:8)とおっしゃいましたが、使徒言行録の全体の構成は、このイエス・キリストの青写真に従って、使徒たちがエルサレムから広がって地の果てにまで福音を広める様子が描かれます。もっとも、文字通りにキリスト教会が地の果てにまで伝道を広げるのはもっと後の時代まで待たなくてはなりませんが、ローマにまで赴いたパウロの話を余韻を残しながら記して、書物を閉じています。
ところで、新約聖書は全部で27巻の書物や手紙から成り立っているのですが、大雑把に分類して、福音書、使徒言行録、手紙、黙示録と四つに分けることができます。先ほども言いましたが、福音書はイエス・キリストの教えと働き、使徒言行録は初代教会の歴史、手紙はその初代のキリスト教会やクリスチャンに宛てられた書きもの、黙示録は教会がこれから向かう先を記した啓示の書です。
しかし、そのように分類してしまうと、ルカが描こうとしたものを分断してしまう危険があります。他の三つの福音書と違って、ルカによる福音書だけは使徒言行録とセットになっているからです。この二つの書物が同じ著者によって書かれたことはほぼ間違いありません。つまり、ルカは福音書と使徒言行録の2冊を著したというよりも、むしろ上下2巻からなる一つの書物を表したと考える方がよいでしょう。
話が少し横道にそれましたが、お便りの中にもあったとおり、使徒言行録を書いたのはルカによる福音書を書いた人物と同じルカであると古くから言われています。聖書自体にはルカという著者名が出てくるわけではないのですが、そのように古くから言い伝えられています。そして、このルカはコロサイの信徒への手紙4章14節に出てくる医者のルカであると一般に信じられています。
ルカ福音書と使徒言行録を書いた人物が「ルカ」と言う名前であったかどうかは別として、少なくとも同じ人物が書いたと言うことは、これらの書物が献呈された人物が共にテオフィロであったということ、そして、両者の語彙や文体も似ていることなどから、ほぼ間違いのないことです。
さて、ここからご質問についてですが、使徒言行録を書いたルカは、パウロと共にずっと伝道旅行に同行していたのでしょうか。
使徒言行録には三回の伝道旅行と、ローマ皇帝への上訴のためにローマに赴くパウロの旅が描かれています。具体的には使徒言行録の13章と14章が最初の伝道旅行です。二回目の旅行は15章36節から18章22節まで、三回目の伝道旅行は18章23節から21章までです。そして、最後ローマへの旅が27章と28章に描かれています。
そこで、これらの旅行記事を注意して読むと、ところどころに「わたしたち」という主語で旅の様子を記している箇所があることが知られています。いわゆる「我ら章句」と呼ばれる箇所です。具体的には四ヵ所あって、16章10節から17節、20章5節から15節、21章1節から18節、27章1節から28章16節までです。
これらの箇所を読むと著者はあたかもパウロと一緒に旅をしているように、「わたしたちは〜した」という表現で旅を描いています。それで、少なくともこれらの箇所ではルカはパウロと行動を共にしたのではないかと考えられるようになりました。
もちろん、それに対する反論もないわけではありません。パウロに同行した別の人の旅行記を用いて、ルカがそれらの箇所を書いたと考える人もいれば、ただ単に旅行記風にアレンジしたまったくの創作であると主張する人もいます。
「われら章句」の問題は別にして、ルカがいつもパウロと行動を共にしていたわけではないことは、パウロが書いた手紙からも推測できます。パウロの手紙のおしまいには、パウロと共にいる人たちの挨拶が記されていますが、ルカはもちろんのこと、その手紙すべてに共通の人物と言う人は登場しません。
何人ぐらいで旅行したのでしょうか、という質問も一概には答えることができません。例えば最初の旅行ではパウロとバルナバがアンティオキア教会から派遣されましたが、同行者としてバルナバの従兄弟であるマルコと呼ばれたヨハネも一緒に旅行しています。もっとも、このヨハネは途中で旅から離れていってしまったために、二回目の伝道旅行の時には、このマルコと呼ばれたヨハネを巡って、パウロとバルナバが対りすしてしまい、結局パウロはバルナバたちと分かれて、テモテを連れ立って二回目の伝道旅行に出ます。しかし、この伝道旅行を記した使徒言行録の16章をみると10節以下から例の「わたしたち」という旅日記になります。文字どおりにとれば、パウロとテモテのほかに、著者であるルカも同行していることになります。さらに、フィリピでパウロは投獄されますが、投獄されたのはパウロとシラスです。ですから、シラスも同行したことが分かります。
三回目の旅行を記した20章4節には同行した人たちのリストが載っていますが、そこには公記されています。
「同行した者は、ピロの子でベレア出身のソパトロ、テサロニケのアリスタルコとセクンド、デルベのガイオ、テモテ、それにアジア州出身のティキコとトロフィモであった。」
最後に、どんな旅であったのかということについて、もちろん、使徒言行録を呼んでいただくのが一番ですが、パウロ自身が手紙の中で書いている文章をご紹介して終わりにします。コリントの信徒への手紙二の11章26節以下です。
「しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。」
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