BOX190 2009年3月25日(水)放送     BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: ニコライ派とは? ハンドルネーム tadaさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネーム tadaさん、男性の方からのご質問です。お便りをご紹介します。

 「ヨハネの黙示録の2章6節、15節に出てきますエフェソ教会やペルガモン教会宛てに書かれた手紙で、非難されている『ニコライ派』とは一体何なのでしょうか。」

 tadaさん、いつもたくさんのご質問をお寄せくださり、ありがとうございます。取り上げる順番が後先になってしまいますが、今回は「ニコライ派」についてのご質問を先に取り上げることにいたします。

 さて、まずはラジオを聴いてくださっている方のために、ご指摘の聖書の箇所を読んでみたいと思います。最初に新約聖書ヨハネの黙示録の2章2節から7節までです。エフェソの教会に書き送られた言葉です。

 「わたしは、あなたの行いと労苦と忍耐を知っており、また、あなたが悪者どもに我慢できず、自ら使徒と称して実はそうでない者どもを調べ、彼らのうそを見抜いたことも知っている。あなたはよく忍耐して、わたしの名のために我慢し、疲れ果てることがなかった。しかし、あなたに言うべきことがある。あなたは初めのころの愛から離れてしまった。だから、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて初めのころの行いに立ち戻れ。もし悔い改めなければ、わたしはあなたのところへ行って、あなたの燭台をその場所から取りのけてしまおう。だが、あなたには取り柄もある。ニコライ派の者たちの行いを憎んでいることだ。わたしもそれを憎んでいる。耳ある者は、”霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、神の楽園にある命の木の実を食べさせよう。」

 続いて、ヨハネの黙示録の2章13節から17節までです。ペルガモンの教会に宛てて書かれた言葉です。

 「わたしは、あなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの王座がある。しかし、あなたはわたしの名をしっかり守って、わたしの忠実な証人アンティパスが、サタンの住むあなたがたの所で殺されたときでさえ、わたしに対する信仰を捨てなかった。しかし、あなたに対して少しばかり言うべきことがある。あなたのところには、バラムの教えを奉ずる者がいる。バラムは、イスラエルの子らの前につまずきとなるものを置くようにバラクに教えた。それは、彼らに偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせるためだった。同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉ずる者たちがいる。だから、悔い改めよ。さもなければ、すぐにあなたのところへ行って、わたしの口の剣でその者どもと戦おう。耳ある者は、”霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には隠されていたマンナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほかにはだれにも分からぬ新しい名が記されている。」

 さて、聖書の中に「ニコライ派」ということばが出てくるのは後にも先にもこの二箇所だけです。そして、エフェソの教会はこのニコライ派の行いを憎んでいるということで、褒められています。逆にペルガモンの教会はニコライ派の教えを信奉する者たちがいるということで警告を受けています。
 このことから明らかなことは、ニコライ派が正統なキリスト教の教えとは相容れないものを主張していたと言うことです。しかし、ニコライ派について言及している二つの箇所は「ニコライ派の者たちの行い」「ニコライ派の教え」とだけ記すだけで、その具体的な内容については記していません。

 聖書以外の個所では2世紀に活躍したリヨンの主教イレナエオスやその弟子であるローマのヒッポリトス、またアレクサンドリアのクレメンスなどの著作の中でその名前が挙げられています。特にイレナエオスはニコライ派を使徒言行録6章5節に登場するアンティオキア出身の改宗者ニコラオと結び付けています。ニコラオは”霊”と知恵に満ちた評判の良い人として選ばれた七人のうちの一人です。
 もっとも、イレナエオスが主張しているアンティオキア出身の改宗者ニコラオがニコライ派の創始者であるとする説は確かな根拠があるわけではありません。アレクサンドリアのクレメンスはその説を否定しています。

 さて、もう一度ヨハネの黙示録に戻りますが、ニコライ派について言及している二つの箇所はいずれも、ニコライ派の名前が出てくるだけで、それ以上の詳しい情報は提供されてはいないと先ほど言いました。確かにそのとおりなのですが、ペルガモンの教会に宛てた言葉の中には、ニコライ派について言及する直前に、バラムの教えを信奉する者たちのことが触れられています。このバラムと言う人物は旧約聖書民数記22章以下に登場するベオルの子バラムを指していると考えられます。特に民数記25章に出てくるベオルで犯したイスラエルの背信行為の罪と結びつけて、黙示録ではバラムの教えは「偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせる」教えであると述べられます。
 そう述べた後でヨハネの黙示録は「同じように、あなたのところにもニコライ派の教えを奉ずる者たちがいる」と続けていますから、ニコライ派の教えはバラムの教えに通じるものがあったのでしょう。

 聖書注解者によっては、ヘブル語の「バラム」とギリシャ語の「ニコラオ」に類似した意味を見出し、両者の教えの同一性を主張する者もいます。つまり、ヘブル語の「バラム」は「民を飲み尽くす者、滅ぼす者」という意味なのに対し、ギリシャ語の「ニコラオ」は「民に勝利する者」と言う意味なので、両者は共通した意味合いを持った象徴的な名前であると言うのです。従ってニコライ派とは正しくバラムの教えそのものであると主張されるのです。しかし、そうした語源的な洞察にはやや無理なこじつけがあるように思われます。ただ、いずれにしてもニコライ派の教えが結果として「偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせる」行為へと陥れる教えであったと考えることは、文脈から考えて妥当であるように思われます。

 ところで、使徒言行録の15章には異邦人伝道の問題で揺れた教会の一致のために、使徒たちが集まって会議を開いた様子が描かれています。最初の教会会議といってもよいものです。この会議の出した結論は諸教会に伝えられましたが、それはこう言うものでした。

 「聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります。」(使徒言行録15:28-29)

 つまり、「偶像に献げた肉を食べさせ、みだらなことをさせる」ニコライ派の教えが人々を導いた行き先は、まさにこの使徒たちの決定に反する行いだったのです。

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