タイトル: 新約聖書は27巻と誰が決めたのですか? ハンドルネーム・みどりの箱さん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週はハンドルネーム・みどりの箱さんさんからのご質問です。お便りをご紹介します。
「山下先生、聖書についてお聞きしたいことがあり、お便りしました。
聖書は全部で66巻あると言うことは聖書の目次を見れば分かるのですが、特に新約聖書の27巻は誰がどうやって決めたのでしょうか。旧約聖書の方はユダヤ教から受け継いだものなので、キリスト教会がそれをそのまま受け取ったと言うのは想像がつくのですが、新約聖書のそれぞれの文書はどんどんと書かれて生まれていった訳ですから、いつか、誰かが決定しないと27巻では終わらないはずです。そんなことを思い質問させていただきました。よろしくお願いします。」
みどりの箱さん、お便りありがとうございました。確かに新約聖書といえばどこの本屋さんにいっても27巻で一冊になったものが売られています。もっとも詩編付きの新約聖書とか、分冊になった新約聖書とかないわけではありませんが、27巻だけが新約聖書であるとする考えはカトリック教会とプロテスタント教会とを問わず、ずっと昔からあります。
しかし、おっしゃるように、キリスト教会が生まれたばかりの頃は最初から27巻の新約聖書を持っていたわけではありません。正に生まれつつあったそれぞれの文書が最初はバラバラに存在していたはずです。いつか誰かが、そうして生まれてきた文書をまとめて27巻だけを新約聖書としたはずです。
ところで、先ほど「27巻だけが新約聖書であるとする考えはカトリック教会とプロテスタント教会とを問わず、ずっと昔からあります」とあっさり言ってしまいましたが、ローマ・カトリック教会やプロテスタント教会以外のキリスト教会には別の伝統もあります。たとえばエチオピアコプト教会では27よりも多い文書が正典に含まれています。逆に東方正教会の一つシリアの正教会では27よりも少ない文書しか新約聖書に含まれていません。
こういう聖書に含まれる文書の数について研究する学問のことを正典学と言います。そして、旧約聖書と新約聖書について、それぞれ旧約正典学、新約正典学と呼ばれる学問があります。
みどりの箱さんは、旧約聖書が39巻なのはユダヤ教からキリスト教会が受け継いだものなので、何故39巻なのか納得がいくとお書きになっていますが、実はこの問題だけでもそれほど単純なものではありません。
いわゆるヘブル語で書かれたものとして知られている旧約聖書は39巻なのですが、旧約聖書のギリシア語古代訳として知られている70人訳聖書には39巻以外のものも含まれています。ですから、キリスト教会の中では宗教改革の時代まで旧約聖書の範囲について今とは違った見解があったのです。
さて、それでは新約聖書が27巻と定められたのは、いつ誰がそう決めたのでしょうか。
一番手っ取り早く、しかし少し乱暴な説明の仕方は、このことを決めた教会会議についてお話することだと思います。実は397年に北アフリカのカルタゴで開かれた地方教会会議で、旧約聖書と新約聖書のリストが定められました。このとき定められた新約聖書の目次は今の新約聖書として知られているものとまったく同じ27巻です。ですから、いつ誰が決めたのかと問われれば、この会議がそれを決めたと言ってしまえば簡単に説明がつくかもしれません。
けれども、先ほども言いましたように、シリアの正統教会やエチオピアコプト教会などでは27巻だけを新約正典としているわけではありません。そもそも、教会会議によって新約聖書正典の範囲を決めようとする議論の背景には、正典の範囲についての多様な考えがすでにあったと言うことなのです。言い換えるなら、27巻という範囲は、その会議のときになって初めて出てきたわけではありません。この会議は既にあった様々な見解の一つを正統な教会の見解として追認したに過ぎないのです。
ですから、いつと言うことに関しては、この会議よりも前に27巻だけが新約聖書であると考える有力な人々の集団があったと言うことなのです。ただ、遅くとも西方教会では397年のカルタゴ会議のときまでには27巻をもって新約聖書と考えがすでにあったという年代の上限を示すことができると言うに過ぎません。
では、「27巻を新約聖書の文書とする考え」をどこまでさかのぼって示すことができるのでしょうか。論理的には27の文書のうち、一番遅く書かれたものよりも前であるはずがありません。新約聖書の文書がすべて出揃うのは遅くとも二世紀の初頭頃ですから、二世紀初頭よりも前に27巻を新約聖書正典とする議論は論理的に起るはずがありません。しかし、それはあくまでも論理的なことですから、27の文書のうちの一番最後が書かれたからといって、直ちにキリスト教の文書活動が完全にストップしたわけではありません。他にもいろいろな人たちが書いた文書が出始めて、教会の中にそれらが出回るようになって、初めてどれとどれが権威ある文書なのかという議論が起るはずです。
そうすると、それより後の時代で、新約聖書のリストのようなものがあれば、その頃から新約聖書正典についての議論が始まったと推定することができます。
そのようなリストとして知られているものに二世紀末から三世紀頃のものといわれている「ムラトリ断片」あるいは「ムラトリ正典表」と呼ばれる聖書の目録があります。その文書には今の新約聖書に含まれる27巻の書物の名前がほとんど出揃っています。もっともヘブル人への手紙やヤコブの手紙、ペトロの手紙一と二は含まれていません。ヨハネの手紙の数え方も三つなのか二つなのか曖昧です。
この文書で興味があるのは、ただ、いくつの文書を上げているかと言うことだけではなく、教会の中で読まれるべきもの、異論のあるもの、除外するものに分けて文書を分類している点です。たとえば、「ペトロの黙示録」は異論のある文書に分類されています。あるいは、「ラオデキアの信徒への手紙」は除外すべきものに含まれています。そうしたことは明らかに何が新約聖書正典なのかという議論が起り始めていることを物語っているように思われるからです。
同じように3世紀後半から4世紀にかけて活躍したカイザリアのエウセビオスは『教会史』の中で教会で公認されている書物とそうでない書物の分類表を挙げています。
そうして現在の27巻とまったく同じリストが登場する最古の証拠は367年に書かれたアタナシオスの復活節書簡の中にでてきます。
こうした聖書の目録が議論されるようになったのには、教会で重んじられるべき文書を明確化したいという積極的な動機もありますが、異端者との戦いの中で聖書の範囲を明確化しなければならないという要請からリストが生み出されていったということもあるのです。
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