タイトル: 使徒とは? 福島県 A・Tさん
いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。
それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は福島県にお住まいのA・Tさんからのご質問です。お便りをご紹介します。
「きょうは山下先生にお聞きしたいことがあってメールしています。それは十二使徒についてです。
十二使徒と言われているように、その数は十二人に限定されていると素朴にずっと思って来ました。使徒言行録を読むと、裏切り者のユダが欠けると、十二という数を補うために補欠選挙を行なっています。
今までそれで何の疑問も感じてこなかったのですが、そう言えばパウロも使徒と呼ばれています。ということは、十二使徒以外にも使徒と呼ばれる人がいたと言うことなのでしょうか。それとも、使徒パウロは誰かの補欠と言うことなのでしょうか。このわたしの疑問にお答えくだされば、嬉しく思います。よろしくお願いします。」
A・Tさん、お便りありがとうございました。確かにマルコ福音書の3章14節によればイエス・キリストは十二人の弟子を選び、彼らに「使徒」と言う名前を与えたことが記されています。そして、福音書にはその具体的な名前が列挙されています。
もちろん、イエス・キリストに従った弟子たちは、この十二名だけではありませんでした。ルカによる福音書10章1節には72名の弟子が派遣された記事が出てきます。しかし、彼らは「使徒」と言う名前で呼ばれることは決してありません。
その他にもイエスに従う女性たちのことが福音書の中に出てきます。例えばルカによる福音書8章1節以下には十二弟子たちと共にイエスに従って行動を共にした女性たちの名前が挙がっています。また、イエスが葬られた墓には最後までイエスに従ってきた女性たちがどの福音書にも描かれています。しかし、同じように彼女たちは「使徒」とは呼ばれていません。
そして、A・Tさんがご指摘のように使徒言行録の1章21節以下を読むと、裏切り者のユダに代わって一名の使徒が加えられています。
これらの記事を総合すると、イエスに従った者は誰でも「使徒」と呼ばれたわけではないこと、しかも、その数は十二人に限定されているという印象を強く受けます。
特に使徒言行録に描かれる新たな使徒選びの様子では。その資格としてペトロはこう述べています。
「主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」
つまり、使徒として選ばれる条件は、ヨハネの洗礼の時からイエスの昇天の時まで一緒にいた者であること。しかも、イエスの復活を証言することが務めなので、当然そこには復活の目撃証人であることが含まれています。
そうして「バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人」が候補として挙げられ、祈ってくじを引いた結果、マティアが当選したと使徒言行録には記されています。
ですから、この使徒という務めは、条件を満たす人であったとしても誰もがなることができたというものではないことが分かります。
ところが、A・Tさんがおっしゃるようにパウロは「使徒」と呼ばれています。もう少し正確に言うと、パウロは自分の書いた書簡以外のところで「使徒」と呼ばれることはありません。使徒言行録の中でさえ、パウロは一度も「使徒」の称号をもって呼ばれることがないのです。パウロの書いた手紙以外で唯一パウロの名前が出てくるペトロの書簡でさえ、パウロを使徒パウロとは呼ばず、「愛する兄弟パウロ」(2ペトロ3:15)と呼んでいるのです。
そうすると、パウロは自称の使徒なのではないかという疑問が挙がってくるかもしれません。実際のところ、コリントン教会ではそんな誹謗中傷が実際にあったようです。
コリントの信徒への手紙二の10章から12章にかけて、パウロは自分に対するコリント教会の人々の批判をかわし、偽の使徒と自分とがいかに違うかを語っています。とくにコリントの信徒への手紙二の12章12節ではこう述べています。
「わたしは使徒であることを、しるしや、不思議な業や、奇跡によって、忍耐強くあなたがたの間で実証しています。」
これだけの箇所から、問題の本質が何であったのかということを言い当てることは簡単ではありません。ただ確かに、コリントの教会ではパウロの権威を何らかの理由で受け容れなということがあったということは否めません。
同じようにコリントの信徒一の9章1節2節でもパウロは自分の使徒性について弁明しているように見えます。
「わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか。あなたがたは、主のためにわたしが働いて得た成果ではないか。他の人たちにとってわたしは使徒でないにしても、少なくともあなたがたにとっては使徒なのです。あなたがたは主に結ばれており、わたしが使徒であることの生きた証拠だからです。」
ここでは、パウロは自分が主イエスを目撃したことを強調していますから、コリントの教会ではそのことが理由でパウロの使徒性に疑問を抱いていたのかもしれません。
ただ、どんな理由がそこにあったにしても、他の教会でパウロが使徒であることについて疑問を抱かれたという証言はありません。ですから、パウロが自称の使徒であったという可能性はきわめて低いと思われます。
しかし、そのことは必ずしも他の使徒たちからパウロが十二使徒の一人と考えられていたという結論にはならないと思います。パウロ自身も自分が十二使徒の一人であると述べたことは一度もありません。
先ほど引用したコリントの信徒への手紙二の12章12節の直前に「大使徒」という言葉を使って自分と十二使徒(?)を区別しているようにも見えますが、「十二使徒」という言い方をしないで「大使徒」と言っているところを見るとパウロは「十二使徒」という言い方を避けているのか、特に「十二」という数字にこだわっていないようにも感じられます。コリントの信徒への手紙一の15章5節で復活のイエスが十二人に現れたことを述べていますが、そこでも「十二使徒」という言い方をしていません。
それどころか、パウロは「使徒」を意味するギリシャ語の「アポストロス」を十二使徒以外のエパフロディト(フィリピ2:25)やテトス他の兄弟に対して使っています(2コリント8:23)。
そうすると「アポストロス」という名称は必ずしも十二使徒だけに限定されるものではなく、もう少し広い意味での使い方もあったのではないかと考えられます。
では、パウロだけが十二使徒という言い方にこだわりを持たないのかと言うと、実は使徒言行録も裏切り者のユダが欠けたことでマティアを補充したことを描いていますが、その後、使徒のヤコブが殺害された後、同じように誰かが十二使徒の欠員を補ったと言うことを報告していません。沈黙からの議論と言われてしまうかもしれませんが、補欠選挙をしてまで十二使徒の十二という数にこだわりを持ったのは、教会の再出発の時だけだったのではないかと思われます。
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