BOX190 2009年1月14日(水)放送     BOX190宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄 (ラジオ牧師)

山下 正雄 (ラジオ牧師)

タイトル: プロテスタント宣教150周年とは? 東京都 S・Wさん

 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。キリスト改革派教会提供あすへの窓。水曜日のこの時間はBOX190、ラジオを聴いてくださるあなたから寄せられたご質問にお答えするコーナーです。お相手はキリスト改革派教会牧師の山下正雄です。どうぞよろしくお願いします。

 それでは早速きょうのご質問を取り上げたいと思います。今週は東京都にお住まいのS・Wさんからのご質問です。お便りをご紹介します。

 「山下先生、いつも番組を楽しみに聞いています。
 さて、最近よく耳にするのですが、今年は日本にプロテスタントが入ってきてから150周年に当るそうです。そこで、素朴な疑問なのですが、何をもってプロテスタントの伝来とするのでしょうか。たとえばカトリックの場合ですと、フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した1549年がキリシタン伝来の年として、学校の教科書にも出ています。ところが、プロテスタント教会のことが教科書に出ていた記憶はわたしにはありません。キリスト教禁令の高札が撤去されたのが1873年だったと教科書に出ていたので記憶していますが、明治維新以降のキリスト教はこの時点から旧新両派の再出発なのではないでしょうか。
 それとも1859年にはだれか特別なプロテスタントの人物が来た年なのでしょうか。その辺のところをよろしくお願いします。」

 S・Wさん、お便りありがとうございます。今年はプロテスタント日本宣教150周年ということで、関係団体による記念行事があちこちで催されるようです。S・Wさんもきっとそうしたことを耳にされてご質問されたのだと思います。

 さて、フランシス・コザビエルがキリスト教を日本に伝えたのは1549年であったということは大変よく知られています。1549を「以後よく(1549)広まるキリスト教」という語呂合わせで年代を覚えた記憶があります。ザビエルという人はカトリックの男子修道会、イエズス会を創設した中心の人物でした。そのザビエルが活躍した頃のヨーロッパは、丁度宗教改革の波が広まりつつあった時代でした。ただ、残念なことに宗教改革の結果生まれたプロテスタント諸教会は、日本にまで教えを広める余裕はありませんでした。
 では、いったいいつプロテスタント教会が日本に入ってきたのでしょうか。プロテスタントを信仰する外国人が日本に居留したというだけのことならば、今から150年よりももっと前に来ていたかもしれません。ご存じのとおり、江戸幕府によって鎖国政策が取られた後も、オランダに対しては貿易が認められており、長崎の出島にはオランダ東インド会社の商館がありました。その長崎に居留していたオランダ人の中にはプロテスタントを信仰する人がいたかもしれません。というのも当時のオランダはカトリック国スペインから独立し、プロテスタント信仰が根付いていたからです。すくなくともオランダ商館のオランダ人が阿蘭陀冬至と称してオランダ風のクリスマスを守っていたことは知られています。
 19世紀の半ばになると列強の国々が次々とやって来て開国を迫るようになりますが、日米和親条約に基づいて1856年にはアメリカ初代駐日総領事のハリスが下田に来日します。ハリスは1857年のアドベントにプロテスタントの礼拝を守り、書記官と共に日本でキリスト教が認められるように求めることを誓ったことが知られています。
 しかし、こうした動きは諸外国のプロテスタント教会の公的な動きと言えるものではありませんので、プロテスタントの日本宣教の開始とするにはふさわしくありません。

 では、S・Wさんのおっしゃるようにキリスト教禁制の高札が撤去されるまで、日本のキリスト教の歴史は中断されていたと考えるべきなのでしょうか。しかしそれでは実際に始まっている日本への宣教活動の時期から考えて、その年をプロテスタント宣教開始の年とするには遅すぎるように思います。確かに公的には1873年に初めてキリスト教を禁止する高札が取り除かれたのですが、キリスト教が政府によって禁じられていると言うことと、教会の宣教の歴史とは当然別のことです。禁教下にあっても教会の宣教の働きは動き始めているのです。

 それでは、受洗者第一号をもって日本のプロテスタント教会の幕開けと考えるべきでしょうか(※日本人で最初にプロテスタントの洗礼を受けたのは矢野隆山といわれています。JHバラ宣教師から1865年11月5日に受洗しました)。いえ、そうではありません。当然、洗礼を受ける人がいれば、それを授けた人もいるわけです。そして、その洗礼を授けた人物は、当然、日本宣教を志して日本にやって来たはずです。
【 その洗礼を授けた人物はアメリカ長老教会伝道局から派遣された宣教師でした。このタムソンが来日したのは1863年のことです。しかし、このタムソンよりもさらに4年前に日本の伝道を志して来ていた人々がいたのです。】

 1859年はそうした日本伝道を志す人々が次々と来日した年でした。アメリカ監督教会のリギンズ、ウィリアムズ。アメリカ長老教会のヘボンズ…この人はヘボン式ローマ字の発案者として小学生にも名前が知られている人です。そしてアメリカ・オランダ改革派教会からはブラウン、フルベッキなどがやって来ました。
 こうした人々はもちろんキリスト教禁教下では公的な宣教活動はできませんでした。英語塾などの学問を教える活動や、ヘボンのように医療活動や英和辞典の編纂を手がけて日本宣教の機会を待っていました。彼らが来日した年には具体的な宣教活動を開始したと言うわけではないですが、しかし、アメリカのプロテスタント教会が日本宣教を志して、宣教師や宣教医を派遣した年と言う意味で、この年をもって日本プロテスタント宣教の幕開けとしているのです。
 もちろん、1859年は日米修好通商条約により神奈川、長崎などの港が開港された年でもあったので、たくさんの外国人が来日して居留地に住むようになった年でもあります。アメリカ人とイギリス人は開国の直後から神奈川宿のイギリス領事館…といってもお寺ですが…このイギリス領事館として使っていたお寺で聖公会の礼拝を守っていたと言われています。先ほど名前が挙がったブラウンはアメリカ・オランダ改革派教会の宣教師でしたが、三年間この礼拝に奉仕したそうです。

 ちなみに日本最初のプロテスタント教会と呼ばれているのは、現在の横浜海岸教会です。1872年にアメリカ・オランダ改革派教会の宣教師バラを中心に11名の日本人によって設立されました。最初の教会堂が献堂されたのはそれよりあとの1875年です。
 ではそれまで日本にはプロテスタント教会の教会堂がなかったのかというとそうではありません。外国人居留者のために1863年に聖公会によって横浜クライスト・チャーチが横浜居留地に建てられます。また1868年にはすでにアメリカ領事館で始まっていたユニオン・チャーチが横浜居留地に会堂を持つようになります。

 そういうわけで修好通商条約によって開港した1859年にプロテスタントの宣教師たちが来日したことをもって日本のプロテスタント宣教のはじまりとしているのです。

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