ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
イエス様の教えの中に次のようなものがあります。
「義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。」
マタイによる福音書5章6節です。
「義に飢え渇く」というのは、正しくありたい、そのように願いながらも自分にはできない、それで飢え渇くということです。これは特に神様との関係で言っています。神様と正しい関係でありたい、神様の御心にかなうようでありたい、それでも自分には力がない、罪や弱さがある、それで飢え渇くということです。
そういう人々は幸いだとイエス様は教えます。なぜなら、その飢え渇きは神様によって満たされるからです。飢え渇くということは、現実にはあまり経験することがないかもしれません。実際の生活ではせいぜい、おなかがすいた! のどが渇いた! という程度かもしれません。飢え渇くというのは、どうしてもほしい、必要だと、必死に求めるような感じではないでしょうか。これを読むと、飢え渇くように神様を求めているのかどうか反省させられます。自分には力がない、神様がよく分からない、そんなとき、場合によってはあきらめてしまったり、こんなもんかと変に納得してしまったりすることもあります。
しかし、神様を飢え渇くように求めるならば、満たされると教えられているのです。別のところでは、こんなことも教えられました。「求めなさい。そうすれば与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」。神様がよく分からない、そのように悩む人は、すでに幸いに一歩近づいているのではないでしょうか。飢え渇くように求めていきましょう。