ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
先日、教会に来ている人から質問されました。イエス様は、
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」
と言っているが、これはどういうことでしょうか、と。この言葉は、聖書のマタイによる福音書5章3節にある言葉です。確かに「心が貧しい」というと、普通はよくないイメージでしょう。ねたみ深いとか、人の不幸を喜ぶとか、そんな感じでしょうか。むしろ心が豊かである、心が広い、そういう人の方が幸いのように思えます。
実は、旧約聖書を見ると分かってくるのですが、聖書では「貧しい人」というのは、「神様に望みをおく人」という意味で用いられているんです。お金もない、頼るものもない、そんなときにただひたすら神様に頼る、神様に望みをおく、そういう人のことを「貧しい人」というのです。ですから、イエス様が教えられた「心の貧しい人々は、幸いである」というのも、頼るものもなく、ただひたすら神様に頼る、神様に望みをおく、そういう人は幸いだと言っているわけです。なぜならそういう人は、神様の助けやお守りや導きが与えられる、神様とともに生きることができる、ということだからです。
あらためてこんなことを言われるのも、案外人は神様に頼るといいながらも、あれもこれも必要だと色々なものに頼ったり、苦しいのは社会が悪い、人が悪いとうらんでみたりしてしまいやすいからなのかもしれません。ただひたすら神様に頼る、神様に望みをおく、そのような貧しい心になりきれていないことがあるのかもしれません。イエス様はおっしゃいました。「心の貧しい人々は、幸いである。」