いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
「希望」ということについて思いめぐらせるのは、希望に満ちた時代よりも、むしろ希望のない時代の方が圧倒的に多いのは道理です。希望がもてないからこそ、希望について人々は考えるのです。そういう意味で、行き詰まったように見える今の時代こそ希望について考える絶好の機会ということができると思います。
ところが、希望についてそれまで考えてこなかった人が、いきなり希望について考えるというのは、途法もない課題を与えられたようなものです。どこからどう手がかりを得たらよいものか、見当もつきません。
こう言う時代にこそ希望について語ることができる指導者の出現が望まれます。
ところで、聖書には「あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい」という言葉が記されています。キリストを信じ、聖書の言葉を受け入れたクリスチャンには、キリスト教が信じる希望について語る準備が求められているのです。いつでも自分の信じる希望について語れるように備えていなければならないというのです。
しかし、これはクリスチャンだけに求められているというよりも、人として誰でも自分が確信する希望について語ることができる用意が求められていると言うことではないでしょうか。
きょうのみ言葉・・・「あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。」ペトロの手紙一 3章15節