いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
「希望」という言葉は色々な意味で使われます。「何か希望はありますか」と聞かれれば、それは「要望」や「リクエスト」を聞かれているのです。小中学生に「あなたの将来の希望は何ですか」と尋ねれば、それは将来何になりたいかという「夢」を尋ねられているのです。
「人類の希望」とか「世界の希望」となると、これは言葉としてはあっても、普段あまり考えたり、尋ねられたりするものではありません。そして、その場合の「希望」が何を意味するのかは、たいてい漠然としたイメージしか描けないものです。
ところで、新約聖書のローマの信徒への手紙の8章には、神によって造られた世界が救われる希望について語られています。今は虚無の世界であったとしても、やがて滅びから解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるという希望です。
こういう希望はまだ実現していないという意味で目に見えない希望ですが、前例がないという意味でも経験がない見えない希望です。こういう希望は人間の経験から導き出せる希望ではありません。ですから、信仰によって受けとめるよりほかのない希望です。
「希望がない」というのは、ほんとうに希望がないというよりも、実は、希望を受けとめる心が信じることを拒んでいるのではないでしょうか。
きょうのみ言葉・・・「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。」ローマの信徒への手紙8章24節