いかがお過ごしですか。ラジオ牧師の山下正雄です。
「希望」とか「望み」について語るのが、今は難しいと感じられる時代です。今の時代は将来についての明るい見通しがなかなか見えにくいからです。もちろん、「希望」とか「望み」について語るのが易しい時代など、そもそもあったのかという見方もあるかもしれません。将来について確実と言えるものは、人間にとって何一つないからです。
もっとも、間近な希望についてなら、時代を問わず誰もが普通に抱いています。若者は将来どんな仕事につきたいか熱い夢を持っています。仕事に既に就いている人なら、どんな貢献をしたいか夢があるはずです。定年間近の人であっても、定年後のささやかな希望についての思いがあります。
ただ、そうした間近に迫ったことへの期待や夢と言う意味での「希望」ではなく、遠い将来にわたる「希望」となると、途端に声が小さくなってしまいます。今よりも10年後が、今よりも百年後が確実に豊かで幸せな時代だと誰も確信できないからです。
聖書の中で「希望」という言葉について調べて見ると、「希望」の根源はいつも神にあります。人間や世の中の動きに「希望」を託するということはないのです。いえ、そういうものに託された「希望」はいつも覆されてしまいます。結局のところ「希望」について突き詰めて考えていこうとすると、天地万物をお造りになった神に行き当たるのです。
きょうのみ言葉・・・「主よ、あなたはわたしの希望。」旧約聖書詩編71編5節