いかがお過ごしですか。三川栄二です。
登山をされた方はご存知ですが、山登りの道は、それと分かるように木の枝にリボンが結んであったり、ペンキで丸や矢印が書いてあります。
以前、山登りをしたとき、頂上近くの石がごろごろする足元の悪いあたりまでさしかかりました。傾斜もきつくなり、ほとんど這って登るような状況でした。そのうち、わたしを追い越す人がいて、登るのに必死でしたから、その人の後についていったのです。ところがどんどん険しくなり、とても道とは思えないところを登っているのに気づきました。
そこでふと周りを見ると、自分が登山道から大きくそれていることに気づいたのです。登山道は、大周りをしながらも、頂上まで安全にたどり着けるようになっているのですが、わたしを追い越した人は、直線で一気に頂上まで登ろうとしていたわけです。その方には、それだけの力と自信があるから良いのですが、わたしにはありません。そこで素直に本来の登山道まで戻って、安全に頂上までたどり着くことができました。
そのときつくづく、神さまの導きも同じだと思いました。他の人を見てうらやましく思い、自分はどうしてこんな遠回りをさせられるのか、そんなふうに考えてしまうこともあります。しかし実は、それが自分の力に合った、一番安全な道なのかもしれません。
「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えてくださる」(詩編37編23節)。
今日も神さまはわたしたちに、一番ふさわしい道へと導いてくださいます。信頼して歩んでいきましょう。