ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
新約聖書コリントの信徒への手紙一の13章12節に、次のような言葉があります。
「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる」。
これは、神様の知り方を言っています。聖書の時代、昔のことですから、鏡といっても、銅を磨いたようなものです。今の鏡のようには、はっきりとは映りません。おぼろに映るという感じでしょう。
神様を知るということについても、地上での生活の間はそういう面があるということです。聖書を通して、あるいは祈りを通して、あるいは教会生活を通して、神様のことを知ることができます。しかし、まだまだはっきりと、完全にというわけにはいきません。今の、地上の生活では、どうしてもおぼろな面があるのです。よく分からないところがある、はっきりしないところがある、それは当然なのです。しかし、おぼろだから、はっきりしないから、神様はいないのではないか、などと言うべきではないでしょう。そもそも、神様がはっきり分からなくなってしまったのは、人間の罪が原因なのです。それでも神様は御自身を知らせようとしてくださいます。
今はまだはっきりしないところがあっても、いつか神様と顔と顔とを合わせてお会いすることができることを信じて、神様を求め続けていくべきなのです。地上の生活では、誰も神様を完全に知ったなどと言えるものではありません。みんなで共に、神様を求め続けていくのです。これから求めようとしている方も、長いこと信仰生活をしている方も。神様と顔と顔とを合わせて見るときがくることを信じて求めましょう。