ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
新約聖書テサロニケの信徒への手紙一 5章16節に次のような言葉があります。
「いつも喜んでいなさい」。
イエス・キリストを信じるということは、基本的には喜びであり、いつも喜んでいることのできる、そういうものです。「いつも」ということは、外側の状況に左右されないで、どのような場合にもということです。たとえば、人生のいい伴侶を得た場合、今まで暗いと思っていた世界全体が明るく見えてくる、そして色々苦しいことがあるけれども、伴侶と一緒ならば乗り越えられる、そういうことがあります。外側の出来事や環境に左右されて、喜んだり悲しんだりというのではなく、伴侶と一緒なので、どういう時でもどういう場合でも喜んでいられる、そういうものでしょう。
聖書が、「いつも喜んでいなさい。」と言っているのは、イエス・キリストという人生の最高の伴侶がいてくださるから、だからいつも喜んでいられる、喜んでいなさい、ということなのです。イエス様がいつも共にいてくださるから、喜んでいられる、そのことがあなたにも分かりますように、気づくことができますように、祈るものです。
イエス様が共にいてくださる。これは、科学的に証明する事柄ではありません。信仰によって受け止める事実です。イエス様が共にいてくださるのかどうか、を問うのではありません。イエス様が共にいてくださるのを、信じるのか、それとも疑ってしまうのか、という問題です。イエス様はおられます。それを信じますか。信じるなら、絶えざる喜びがあなたのものになります。