いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井 献です。
ルカ福音書23章50節以下を読むと、イエスが十字架で死んだとき、ユダヤの議員であるヨセフという人が現れます。このヨセフは「ピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた」と記されています。
ヨセフは善良な正しい人で、イエスによって神の国が実現すると期待をかけていました。その期待は無駄に終わったにしてもイエス先生の遺体が犯罪人用の共同墓地に投げ捨てられるのがしのびなく、遺体を丁寧に葬りたいと願ったのです。
当然イエスの死の意味も、続く復活も知らないはずです。しかし、主イエスが死を滅ぼして復活する大切な墓を、神はこの正しい人によって用意したのです。ヨセフは、イエスが復活したとき、イエスの遺体を引き取り、墓地を提供したことの意味を知り、神に感謝と賛美をささげたのではないでしょうか。
神は、善良で正しい人を、当人が意識しないうちに、神の国を実現するために役立ててくださいます。この場合の正しい人とは、神に対して正しい人という意味であり、主イエスとどのような関わり方をするかによって決まります。
人には、自分の行っていることが本当は何の意味かが分からないことがあります。けれども、神は、主イエスとの関係で行いをはかり、よい実りを結ばせてくださいます。主イエスを受け入れて、人の目や人の評価を恐れず、神に用いられる者となってください。