いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井 献です。
ルカ福音書23章44節以下に、イエスが十字架で死ぬ場面が描かれています。
「既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。『父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。』こう言って息を引き取られた」。
12時から3時まで全地が暗くなったと記されていますが、この暗闇は、神の裁きを象徴しています。また暗闇が全地を覆っているとは、全世界に神が臨み、人類が裁かれていることを意味しています。
イエスの十字架の苦悩は、イエスの苦悩であるだけでなく、全人類が神に裁かれているゆえの苦悩なのです。この暗闇の意味、イエスの十字架の意味を知るものはこの時いませんでした。イエス1人だけがよくご存じでした。
人は、小学校から、中学、高校、社会人へと成長する中で、知識と経験を広げながら、自分の生きている意味と意義を知りたいと願うようになるものです。
ただし、人の一生と生きていることの意味をはかるには、尺度が必要です。聖書は、神を知り、神との関係で人生の意味を問うことが最も確かなことであると教えます。しかし、その肝心要の神がいるのかいないのかが分からないではないかと思う方がおられるでしょう。
神は、何より、十字架の主イエス・キリストにおいてご自身をあらわしておられます。この神により、自分自身と人生の意味を知る者となってください。