いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井 献です。
ルカ福音書23章32節以下に、十字架の上でイエスが「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」と祈る姿が描かれています。
彼らとは、イエスの服をくじで分け合う兵隊や、十字架のイエスを見上げてあざ笑うユダヤの議員たちのことです。兵隊たちは自分たちがくじ引きをして服を分け合うことで役得にあずかろうとしていることを知っていました。議員たちは、自分たちがイエスに死刑の判決を下し、総督ピラトに引き渡し、神を冒涜したこのイエスを亡き者にしていることをよく理解していました。
それでもイエスは、「彼らは自分が何をしているのか知らないのです」と祈っています。
この祈りは、メシアであり神の子を自分たちが手にかけていること、そうすることで恐ろしい神冒涜の罪を犯していることが分からない、本当のことを知らないでいる。知らないのですから、ゆるしてくださいという祈りなのです。
自分が今何をしているのか、それはわかります。初詣をしている。人を憎んでいる。怒鳴りつけている。物を盗もうとしている。困っている人を助けている。しかし、それがどのような意味であるかを知る人は少ないのです。特に神との関係でいかなる意味であるかを知ることは本当に難しいことなのです。
キリスト教は、人の罪と、罪からの救い主イエス・キリストについて語ります。それは、現実に行っていることが、神の前でどのような意味であるかを知らせるためです。それと同時に、救い主を得ていただきたいからです。どうか、聖書をとおし、自分を知り、救い主を得てください。