いかがお過ごしでしょうか。湘南恩寵教会の鈴木牧雄です。
今日も最初に、聖書の言葉に耳を傾けたいと思います。マタイによる福音書26章21節からです。
「一同が食事をしているとき、イエスは言われた。『はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。』弟子たちは非常に心を痛めて、『主よ、まさかわたしのことでは』と代わる代わる言い始めた。」
有名な最後の晩餐の席でのことです。イエス・キリストは、イスカリオテのユダの裏切りを見抜いておられました。しかし、ユダと名指しせずに、「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」とおっしゃいました。そのため、弟子たちの間に動揺が走り、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めたのでした。
貪欲は、魔が差したかのようにいつの間にか私たちに罪を犯させます。ユダは、たった銀貨30枚のために主イエスを裏切りました。言語道断の恐ろしい罪です。
しかし、ユダ以外の人には関係の無いことなのでしょうか。だれもユダと同じ罪を犯そうとは思いませんが、貪欲に心が惑わされ、魔が差したかのように恐ろしい罪を犯してしまいそうになることはあるのではないでしょうか。だから、だれも「まさかわたしのことではない」とは言えないのです。
イエス・キリストは、そのような私たちのことをも見抜いておられます。だから、誰もが「もしかして、わたしのことかもしれない」と自分自身を正直に見つめ、悔い改めてイエス・キリストに救いを求めるべきなのです。