ごきげんいかがですか。羽生栄光教会の村田寿和です。
だいぶ前に、わたしが奉仕している教会に、あるご婦人が訪ねて来られました。その方は、まだイエス・キリストを信じておりませんでしたが、聖書を自分で読んでおられました。
そのご婦人が、ある聖書の個所が自分を苦しめていると言うのです。どこかと思って尋ねてみますと、それは次のような御言葉でありました。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです」(1テサロニケ5:16-18)。
そのご婦人は、「ここに、『どんなことにも感謝しなさい』とあるけれども、わたしにはそれができない。そのことがわたしを苦しめるのだ」と仰るのです。わたしはなるほどなぁと思った反面、彼女が「キリスト・イエスにおいて」という言葉を見落としていることに気が付きました。
神さまが望んでおられることは、キリスト・イエスを抜きにして、どんなことにも感謝することではありません。神さまが望んでおられることは、キリスト・イエスにおいて、どんなことにも感謝することなのです。それは言い換えれば、私たちが、キリスト・イエスにおいて、どんなことにも感謝できる者とされているということです。神さまが望んでおられることは、私たちがどんなことをもキリスト・イエスにあって受け取り、神さまの恵みを見出して、神さまに感謝をささげて生きることなのです。