ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
新約聖書エフェソの信徒への手紙の5章20節にこんなことが書いてあります。
「いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。」
「いつも、あらゆることについて」神様に感謝するようにと教えています。これはどういうことなのでしょうか。悪い事があっても、何をされても、嫌なことがあっても、とにかく感謝、感謝と、何でもそのように感謝しなさいということなのでしょうか。でもそれでは、ポカッと殴られたら感謝、事故にあったら感謝、病気になったら感謝、何かおかしなことになってしまいます。聖書はそういうことを言っているのではないでしょう。
やはりキリスト者も抵抗すべき時もあり、悪と戦わなければならない時もあり、あるいは迫害から逃れなければならないときもあります。
聖書が教えているのは、そういう抵抗すべき時も、戦いの時も、迫害のときも、あらゆることの中に、何か感謝すべきことがある、それを見つけだして感謝できるのではないか、ということなのです。どんな事柄の中にも、何か感謝すべきことがあるはずだと。一つ一つの出来事を、これはいいこと、これは悪いこと、これは感謝すること、これは嫌なこと、そういうふうに色づけしてしまうのではなくて、一つの出来事の中に、確かに悪いこともあるけれども、何か神様からの意味、あるいは感謝すべき点、それもあるのではないかということです。それは、主イエス・キリストを信じ、神様を信じるとき、見えてくるものなのです。