ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
神様は全知全能で、何でもおできになるのだから、そのお力で、たとえばあっというまに世界の人々をクリスチャンにすればいいのに、などと言われることがあります。なるほど、そんなふうに思うこともあるかもしれません。
けれども、人間は他の動物と違って、神様によって人格的な存在として造られました。それは、神様との対話の中でいきるためだったのです。
他の動物はそうではありません。動物の場合には、たとえば飼い主の言うことを聞かなければ、首に縄をつけてでもひっぱってくるとか、言うことを聞かなければ叩いて身に覚えされるとか、そのようにするわけです。
けれども、人間は人格的存在なので、そのように強引にやるわけにはいかないのです。首に縄をつけていやおうなしに信じさせるとか、強引にクリスチャンにするとか、あるいはマインドコントロールするとか、そういうわけにはいかないのです。それでは人格無視ということになります。そうではなく神様は、語りかけられるのです。そしてそれに応じて、人が、自分で考え、自分で判断して、そうして自覚的に、主体的に神様に応答してくることを求めておられるのです。そういう対話、人格的なお交わり、それを求めておられるのです。
ですから、その神様のことを伝える側も人格を無視してやるわけにはいかないのです。地道ではあるけれども、やはり、聖書で神様がこのようにおっしゃっていますとお伝えして、そうして本人が主体的に応答して下さることを祈り願うのです。