ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
聖書は、人間は神様によって造られたと言います。その、人間が創造されたときに、他の動物と決定的に異なっていることがありました。聖書にはこうあります。
人は「神にかたどって創造された。」
神にかたどって、というのは、人格的存在として造られたと言ってもいいでしょう。
その人格をもって、神様と共に生きるようにと、神様と対話しつつ生きるようにと、そのように造られたのです。それが最初に造られたときの人間でした。これが、人間と動物の決定的な違いなのです。ここに、人間だけに宗教があるということの理由があるのです。他の動物はそのように人格的な存在としては造られなかったのです。それで宗教がないのです。神様と対話できないのです。猿は人間に近いといわれますが、決して神様を礼拝したり祈ったりはしません。宗教がありません。そこが決定的に違うのです。
ところが、神様と対話しつつ生きるように造られた人間は、神様に背を向けてしまい、神様との対話を失ってしまいました。聖書は、そのように対話を失ってしまった人間に対しての、神様からの呼びかけなのです。もう一度、神様との対話の中で生きるようにという呼びかけなのです。
神様に背を向けて罪を犯してしまった、最初の人間アダムに対して、神様は呼びかけられました。「どこにいるのか。」神様は、対話、交わりを回復しようとしておられるのです。
「あなたはどこにいるのか。」