いかがお過ごしですか。新浦安教会の芦田高之です。
私の義理の兄は絵描きです。抽象的な、模様のような絵を描く絵描きです。ある時期、彼は十字架の絵を描いていました。そこには人の姿も景色もありません。何本かの線の中にくっきりと2本の線がクロスしている。そんな十字架の抽象画でした。
私は、その絵を展覧会に見に行きました。そして、その絵の前に何分間か立ち止まり、じっとその絵に見入っていました。次第に2本のクロスした線…、つまり、十字架が私の心に迫ってきたのです。
すると、なんだか私はとても悲しい思いに包まれました。自分がずいぶん身勝手に、自分の思いや欲や都合だけで生きている事実に気づかされてきたからです。私は、誰にともなく、心のうちの思いを心の中で繰り返し、問いかけました。「私は、本当に悪いのですが…。自分勝手なのですが…。自分の都合だけで生きているのですが…。赦していただけるのでしょうか?」と。
そうしたら、目の前の十字架の奥から、こんな言葉が私の心の中に聞こえてきました。「あなたの罪がどんなに大きくても、私、イエスは、あなたのどんな罪も赦す力がある」と。
聖書にこんな言葉があります。「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します」テモテ第一1の15です。この言葉は今も私に、そしてあなたに対して語られているのです。