ごきげんいかがですか。綱島教会の川杉安美です。
教会に行ったりキリスト教の話を聞いたりすると、よく罪人だと言われるのでいやだ、そのように言われてしまうことがあります。たしかに、聖書にはこう書いてあります。
「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。」(ローマ3:10-11)。神様の目から見たら、そういうことになってしまうということです。神様の目から見たら、人は皆罪人だということなのです。
実は、聖書はもともとヘブル語やギリシヤ語で記されているのですが、「罪」というのは、「的はずれ」とか「ねじれ」とか、そういう言葉が用いられています。人間として本当に的を射た生き方になっていない、まっすぐになっていない、はずれてしまっている、ということです。そういう状態を罪と言っているわけです。そして、そこから嘘、偽り、争い、憎しみ、不品行などなど様々な悪が生じてくるわけです。聖書は、そのことを人に気付かせて、そうして的外れではない、ねじれていない、まっすぐな生き方に導こうとしているわけです。何も、ただ罪人だと責めているわけではないのです。
イエス・キリストの教えやお働きもすべて、人をまっすぐに、的外れでない生き方にするためにこそ、あるのです。病気の人が、自分は病気ではないと強情をはって医者にも行かず、そのままにしていると病気はどんどん悪くなってしまいます。医者に行って対応してもらうものです。魂の病気である罪も同じです。
自分には罪はないと言って、放っておいてはいけません。イエス様のところに行って、治していただくのです。