いかがお過ごしでしょうか。東京教会の今井献です。
新約聖書にあるマタイによる福音書は、全体がおもしろい配列になっています。イエス様についてのいろいろな出来事をまとめた出来事の巻と、イエス様の説教をまとめた説教の巻きが交互に出てくるからです。
最初の説教集は5章から7章まで続く山上の説教と呼ばれる有名な箇所であり、いくつもの大切な説教が集められています。ここを読むと、初めての説教の最初の出だしは、「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」でした。その意味は、天の国、神様のご支配が近づいた、いや今から始まったという宣言です。
いったいどこに始まったのでしょうか。
イエス様とともに始まりました。
また、こうも宣言されました。「わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。・・・天には大きな報いがある」。わたしのためにののしられ、迫害されるなら、とイエス様はおっしゃったのです。「神様のために」、というのではありません、「わたしのために」、イエス様のために迫害されるとき、幸いだという教えです。
強烈な自意識です。神とご自身、神のご支配とイエス様の教えと行いとは、ひとつである。わたしのもとに神からの幸いがあるという自己意識です。
どうか、山上の説教を繰り返し読んでください。その教えが神から出たものか、人から出たものか、ご自身で読み、吟味し、判断してください。