おはようございます。石巻教会の白津景藏です。
作家の井上靖さんは、平和を願い核を否定する自分の心の証しとして、約40年近く前に詩篇「遠征路」の中で、「新しき年の初めに」と題する作品を書いておられます。お読みします。
「去年は地球上で実にたくさんの人が生れ、たくさんの人が死んだ。生れ方は同じだが、死に方はみな異っている。今年もたくさんの人が死ぬだろう。天山の山ひだの中の小さい湖の畔(ほと)りに、19世紀の探検家は眠っている。彼が遺言したように。ーこの小さい事実に心打たれるのは、生と死がばらばらにならず美しいピンで留められているからだ。新しい年は、生も死も、その間に横たわる人生も、天山の湖に影を落すような、そんな年でありたい。争いごとのない平和な地球!今はそのほかに何も願わない」。
私は、この中で生と死を留める美しいピンと言う言葉に心引かれました。美しいピンとはまさに聖書が教える神への信仰に通じるものであり、その恵みは神がもたらす平和を願う祈りの心ではないかと言うことであります。
〈今日のことば〉
「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(新約聖書、マタイによる福音書 5章9節)