おはようございます。石巻教会の白津景藏です。以前、私はこんな話を聞いたことがあります。
第二次世界大戦の時、ドイツを破滅に導いたヒットラーが率いたナチスが強制収容所に於て多くのユダヤ人達をガス室に入れる際、クラッシック音楽を聞かせ乍ら、彼等を死出の旅路に送り出したということです。その現場で演奏したオーケストラの楽団員達は、後になってその時の曲を思い出すと自分達が殺人に荷担したと言う罪の意識に苛まれ、そのことが心の痛みと傷になっていて同じ曲を演奏出来なくなっていたと言うのです。
神は本来、音楽を御自身の御栄えを表わし、讃美する為の恵みの良き手段の一つとして用いることを許され、人間に与えられたのです。しかし、現代人の中には神の御意志に反して、勝手気ままに音楽を自分の欲望を満足させる道具として使う人もいます。果してこれで良いのでしょうか?
さて、旧約聖書の時代、多くの信仰者は旧約聖書の詩編を天を仰ぎつつ、神に向って心をそそぎ御名をたたえ、感謝の歌をうたって、神を讃美し祈ったのです。どうか私達もこの先人の信仰の模範に倣い、絶えず神に立ち帰り、神のもとに真の喜びとやすらぎを与えられようではございませんか。