おはようございます。盛岡教会の久保田証一です。
聖書では、神様のことを羊飼いにたとえているところがあります。詩編23編1節で作者は、「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」と力強く述べています。今から3000年ほど前のものです。この時代に比べれば、今の私たちの生活は、いろいろなものに満ち溢れています。生活が厳しかったり、物価が高かったりしても、便利さや快適さでは、比べものになりません。けれども、自分には何も足りないものはない、などとなかなか断言できるものではないと思います。いくら物が満ちていても、心、魂が満たされていないと何かが足りないと思わざるを得ないのでしょう。
この神様は、現代に生きる私たちに対しても羊飼いとなってくださいます。イエス・キリストという羊飼いとして神様はご自身を現してくださいました。イエス様は言われました。「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」ヨハネによる福音書10章11節。
これは、イエス様が十字架にかかって、その命をささげてくださったことを指しています。私たちが神様に結び付いて、永遠の命を受けられるためです。この、イエス・キリストという羊飼いは、羊である私たちのことを一人一人心にかけてくださるお方です。まことの命を受けるために、羊飼いなるイエス様の声に、どうぞ耳を傾けてください。