ここ最近、僕は学校の勉強などの忙しさにより心は疲れ果てていた。しかしおとといから三日間このキャンプに参加してからは自分の何かが変わったような気がした。
自分はあまり人と接することは本当は好きじゃなくて、このキャンプで年上や年下の人達と触れ合うのも最初は不安を感じたけど段々親しんでいく内に何の違和感や不安も感じなくなった。理由は分からないけど多分神様が僕に他人と接する力をくれたからだと思う。
特に昨日のキャンプファイヤーは非常に印象強く焼き付いている。それからめったにない自然の多い所で過ごすという貴重な時間を過ごすことができて良かったと思っている。でも牧師さんの話を聞いている時は寝ていたことが多かったので本当に申し訳ないなあと後悔している。
この三日間、たくさんの人達と過ごした時間はまあ無駄ではなかったと思う。またこういう時間があったらなあと願っている。 (R・Kさん)
私たちとキリスト教との出会いはごく偶然でした。ある種のひらめき、身近な人からのアドバイス、現実からの圧力、いろんなものがあるタイミングでいっせいに重なり混ざり合い溶け合って、そして一筋の光となって、“出会い”に結びつきました。今思えばそれは単なる偶然や幸運ではなく神様の御計画のもと、お導きであったと思います。
イエス様のお導きはまだまだ続き、心から頼ることができ、心のよりどころ、支えになってくれる方々との出会い。まだまだ日は浅いのですが、足繁く教会へ通うことになった身の回りの変化、私の心の転機、様々な事象の積み重なり、全てが複雑に折り重なってのことですが、全て神様の緻密に計画された御計画ゆえであると思います。
更に、この度「ふくいんのなみキャンプ」に参加するに到った動機も、神様のお導きであったと、今、心の底からしみじみと、しかもじんわりと温かく感謝の念を持って受け入れることができます。
実を言いますと、私共はこちらへ来る前、知る人もなく、まだキリストや聖書への思いも浅く拙い私達が果たしてどのように受け入れられるのかと、大きな不安を抱え、茨城を出発しました。一週間前からそのことが憂うつで仕方なかった程です。途中、車窓からの山々を眺めるうちに、不安は薄れ、「どうにかなるさ。」と前向きで明るい気持ちになり、この地に足を踏み入れ、スタッフの方々の上辺だけでない心からの笑顔に促され、励まされて、山下先生のお声を聞いた瞬間に、ここへ来たことに後悔はなかったんだと、何の根拠もないのに、確信したのです。
神のお導きはまだまだ続きます。入室してすぐに声をかけて下さったK夫妻、Y夫妻、グループディスカッションで一瞬のうちに心が通じ合えたMさん、Sさん、二日目に合い部屋となったEさんとの出会い、全てが神様の恵みです。俗世間ではこれを幸運と呼ぶのかもしれません。
先生方のお話には私が常日頃感じている疑問や、重なる価値観を見出すことが出来、一言、言葉を交わしただけで、「そう、そう、そうよね。」とぴったりと感覚を一緒にする方々と出会い、「私の考えていることは間違いじゃなかったんだ。」と安心したのです。だから、今回のキャンプはそういった意味でホッとできるわたしの居場所となりました。拙い私たちを無条件で受け入れて下さり、深く感謝します。ありがとうございました。 (T・Kさん)