聖書の始めに登場するアダムとエバの子ども、兄カインが弟アベルを憎み殺害するという家庭内殺人事件。エバ(命)から産まれた宝物。そこに起こった最初の悲しみを創世記は語ります。幼子を胸に抱いて母として生きるようになったエバの喜び、わが子を胸に抱くことのできたその喜びと感謝が、はかなく崩れるという悲劇が起こってしまうのです。
そして今も豊かさの陰に、様々な歪みが生じ、形を変えた悲劇が家庭の中に起こっています。罪と悲惨の現実の中に親たちも子ども達も生かされ、今を生きている時間の中に私たちがいます。
21世紀を迎えても、世界中に少しも変わらず悲劇が起こり続けていますね。先日もアメリカの教会で銃の乱射事件が起こったことがネットのニュースで報道されていました。つらい思いで読みました。神様の家族の中に乱入した男の心にいったい何が起こっていたのでしょうか?日本でも各地で連続して起こる殺傷事件に皆が心痛める毎日ではないでしょうか。
「母と子の聖書」に書かれた旧約聖書物語の朗読を毎月続けていますが、先週のお話「ノアの箱舟」のところで、「ノアの時代に生きた人々は、いつ、どこで、傷つけられるか、わからなかったことでしょう!」とキャスリン・ヴォスは書いています。読みながらまさに私たちも子ども達もノアの時代と同じだ、と本当に思わされてしまうのです。私たちのスタジオはお茶の水、すぐお隣が秋葉原です。事件を思い出すたびに空を見上げてためいきが出てしまいます。ノアの箱舟のお話の中で神様は「人が心に思うことは、幼い時から悪いのだ」(創世記8:21)と語られます。
再び「脳内汚染」(岡田尊司著・文芸春秋)の本の警告も心に蘇ってきます(2005年12月に出版)。私たちが気づかないうちに、じわじわと忍び寄って人間の脳を破壊してしまう怖さです。人間の脳が変わってしまう、そんな怖さに気づかず、大人は子供たちにゲームを買い与えている。著者は、医療少年院に勤務しながら、若者の精神的危機を向かい合って、この本を出版してくださいました。
日曜日、子ども達の笑顔、つぶらな瞳、素直な心、可愛い子ども達にたくさん教会で出会います。本当に嬉しい時間です。そこには賛美する天使のような輝いた顔があります。でもこの子供たちもゲームづけになってしまうのでしょうか?警告に心の耳を傾けていかねばなりませんし、教会学校の働きはますます重要になります。子どもを招く教会が各地にもっともっと建てられねばなりませんね。
「神様、この世界を憐れみ助けてくださいますように。家庭に、教会に、地域に、キリストの愛と救いが充ち溢れますように。」 くまだなみこ