自分が変わる一瞬、というものが生きてる時間の中にはありますね。私の「ラジオとの出会い」もまさにその「変わる一瞬」でした。5月21日、明日は私が洗礼を受けた記念の日。何年たっても原点ですね。その日は、春の特別集会でした。記憶の中にあるのは「美しい青空・真赤なバラ、うれし泣き・・・」私はすごく泣き虫なのです。
その一瞬は、私にどんなふうに訪れたのでしょうか?聖書神学科で学んでもうすぐ卒業というある日、ラジオ番組「あすへの窓」に招かれスタジオに入りました。私のスタジオ初体験です。何もわからなかったのですが、学生寮に帰る電車の中で「これだ!これだ!これしかない!」というような不思議な出会いの喜びが胸に溢れました。まさにちょっと大げさなのですが、天からの啓示のようでした。それまでの自分が経験したことのない世界なのになんでその一瞬が忘れない記憶として心に刻まれたのでしょうか?本当に不思議です。何もわからない小さな一人を救ってくださり、恵みをもって一本の道をご用意下さった神様。そして、洗礼を授けてくださった恩師の岩永隆至・愛子先生ご夫妻の愛の御配慮があったのですね。それは、「ここにあなたを遣わす」という導きでした。自分が勝手に思うだけではその道は開かれませんが、神様がきちんとそのご準備をなさってくださっている道ならば必ず祈りが叶えられていきます。何年もたって振り返った時にわかることもたくさんあります。その一瞬、忘れることのできない私の人生の一コマです。あなたにとっても同じ。きっと神様が導いてくださる一本の道があるのです。
「使命」という言葉は「いのちを使う」と書きますね。あなたは自分のいのちをどんな事に使っているでしょうか?人間はみな、大切に意味あることのために使いたいと思う心があります。「神のかたち」に創造された人間は、どの人もみな神様が生かしてくださる「大切ないのち」です。4月に新たな環境に入られた人が1か月過ぎて、こんなはずではなかった!と思うことがあるかもしれません。「自分のいのちをどのように使おうか」ということに悩んでいませんか?
私の本棚に、「『ひと』として大切なこと」(PHP文庫)という渡辺和子先生の本があります。ミッションスクールでの「人格論」の講義録。私も授業に出ているような気持になって時々開きます。その中に「この世に生れてくる一人ひとりは、何か新しいもの、独自なものを持っている。彼は自分と同じ存在がこの世にないことを知らねばならない。もしあったとしたら、彼は存在する必要がないのだから。一人ひとりは、彼にしか果たせない使命を果たすべくこの世に存在するのだ。」という言葉が引用されています。これは20世紀に生きたマルチン・ブーバーというユダヤの哲学者の言葉です。
自分にしか果たせない使命、それはいったい何でしょう?どこでその使命を自覚する一瞬が来るのでしょう?それは100人いれば100通りあることでしょう。クリスチャンになって嬉しいことそれは、自分を人と比べなくていいということ。比較と競争に明け暮れる毎日は苦しくつらいものです。どこまでいっても終わりがありませんね。疲れ果てたそんな自分がいやになることはありませんか?本当の自分に出会うために、私たちはまず「罪からの救い主キリスト」をいただく必要があるのです。
私の一瞬の出来事、その光景を心に刻みながら今日もここに「いのちを使う」喜びを神様からいただいているのです。あなたも救い主イエス・キリストを知り、信じて、自分のいのちを使ってください。失望のない確かな希望と喜びが溢れることでしょう。
「その一人の方(イエス・キリスト)は、すべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分のために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。」(2コリント5:15) くまだなみこ