おはようございます。高知教会の久保浩文です。
価値観の多様化、グローバル化と言われて久しくなります。それに伴って、現代に生きる私たちにとって、人生の選択肢は広がりました。ライフスタイルが多様化し、あらゆる可能性にチャレンジして、人生を自由に満喫できるように思えます。しかし、その反面、様々な価値観に翻弄されてしまい、かえって人生の方向性、焦点が定まらなくなっているのも事実ではないでしょうか。そのような時に、私たちは言い知れない恐れと不安に襲われることがあります。「先行き不安」とでも言いましょうか、「人生一寸先は闇」という言葉があります。果たして、今、選択して歩んでいる道が最終的に自分が意図している目的地に辿り着くのかどうか、わからないのです。
数年前に、幼い娘と一緒に、遊園地のジェットコースターに乗ったことがあります。それは屋内の真っ暗な中を進むもので、自分の乗ったコースターがどの方向に向かって走って行くのかが全く予想できないので、娘も、そして私自身にとっても、不安と恐怖の数分間でした。
私たちは、自分の進むべき道を予め知ることができ、しかもその行き着くべき目的地が予め知らされているならば、不安を覚えるどころか、むしろ安心していられるものです。しかし、たとえ、進むべき道と目的地について何もわからなくても、地理に詳しい道先案内人が先頭に立って導いて下さるのであれば、やはり安心していられます。全幅の信頼をもって、案内人の後に従って行きさえすれば、いつか必ず目的地に到達することができるからです。
人生においても同様のことが言えます。ただ一度しかない、人生という道を踏み誤らないためにも、悔いのない充実した人生を送るためにも、確かな人生の道先案内人が必要です。
聖書によると、そのお方は、神の独り子イエス・キリストです。イエス・キリストは、御自身のことを、「わたしは良い羊飼いである。」と言われます。羊とは、私たちのことです。羊飼いは、自分の羊をわが子のように大切にして、一匹一匹の羊の特徴や性格を知り抜いていました。羊と羊飼いは、常に寝起きを共にして、羊は、羊飼いのことを信頼しています。羊は、道に迷いやすく弱い動物です。羊飼いは、毎朝、羊を囲いから出すと、先頭に立っていき、羊を草と水のあるところに導いて行きます。羊は羊飼いの声を知っているので、ついて行きます。もし、狼が襲ってきたりすると、羊飼いは、羊を命がけで守ろうとします。また、羊がいなくなったら、見失った一匹を見つけ出すまで野原を捜し回ります。
イエス・キリストこそ私たちにとって唯一の真の羊飼いです。イエス・キリストは、私たちの個性の全てをご存知であって、私たちの心の内だけでなく、今置かれている状況まで知り尽くしておられて、その時宜にかなった、ふさわしい手助けをして下さるのです。
イエス・キリストは、私たちにとって永遠の羊飼い、大牧者なのです。イエス・キリストの後に従って行きさえすれば、私たちは決して暗闇の中を歩むこともなく、道に迷うこともありません。必ずや人生のオアシスに辿り着くことができるでしょう。